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世界32か国、16か月の旅。

ユーラシア横断陸路の旅 まえがき

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ダッカ~出稼ぎ社長の苦言の巻

»カテゴリ: バングラデシュ

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リクシャとバスがひしめき合う(2004年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 観光客が来ない国、バングラデシュの首都ダッカ。ひどい街だ。人口1200万人の巨大都市なのに、信号という信号は機能しない。車道には、ものすごい数の自転車リクシャと黒鉛を撒き散らすオンボロバスがぶつかり合う。公園、ビルの軒先、川辺といった空き地は、ことごとくスラム。街のいたるところに乗用車大のゴミ箱があって、あふれかえったゴミが臭気を発している。吐き気を抑えるのがやっとだ。
 朝食を取りに、宿の1階にある食堂に行くが、カレーしかないという。何軒か探すが、どこも同じだ。結局、朝からカレーを食べる。この辺りは、配管や便器を扱う問屋街みたいで、銀行だとかインターネットカフェといった便利なものはない。実に不便である。
 このゴミ溜めに1週間も滞在してしまった。まず、ミャンマー大使館に陸路入国の許可を陳情するが、「絶対不可」。航空券を買わないといけない(「旅行税」が5000円もかかる!)。さらに、「出国地点変更許可」。入国地点とは別の国境から出国するには許可がいるのだ。もちろんパスポートのコピーやら顔写真やらも必要で、受領は翌日。下らない官僚主義につき合うために、リクシャに揺られ、汗を垂らして、ダッカを東奔西走。
「出国地点変更許可」を申請した後、役所のそばで昼食を取った。1200万人の大都会でも、好奇心の強いバングラ気質は変わらず、たちまち人だかりになる。英語のうまい代書屋が、「我が家に来い」と、住所を教えてくれたので、訪ねたりした。
 別の日に騒がしい交差点で話しかけられた。流暢な日本語である。日本で出稼ぎしていたというデュラルさん。何度か彼が経営する下町の履物問屋を訪ねた。22歳のときに日本に行き、35になるまで、千葉、東京の下町、群馬で過ごした。日本にいるバングラ人の多くは同じ地方の出身だという。同じ問屋ビルにも大勢の出稼ぎ帰りの社長たちがいた。青春のほとんどを日本で不法就労者として過ごし、人一倍働き、金を貯めた。今では一国一城の主である。口に出るのは、「たまげたよ」「社長のセガレがさ」と味のある下町言葉。
「悪いことしなかったよ。真面目にさ、ずっと働いても、日本はビザくれないでしょ。30過ぎてさ、もうバングラに帰るしかないな、と思ったよ」
 日本を懐かしく話すデュラルさんが唯一こぼした苦言だった。
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