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世界32か国、16か月の旅。

ユーラシア横断陸路の旅 まえがき

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ヒューテンスレーベン~監視塔のある風景の巻

»カテゴリ: ドイツ

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監視塔の窓から(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 助手席からは、まっすぐ伸びる二車線が重苦しい空に吸い込まれるように見える。左手は炭鉱なのだろう、黒く、掘り下げられた地面が続いている。ドイツのほぼ中央部に位置する田舎町シューニンゲンからタクシーで東へ向かう。3キロ走って、最初に見えた集落の手前で車が止まった。原っぱの真ん中で僕らを下ろすと、タクシーはUターンして、シューニンゲンに帰っていった。雨がぱらついてきた。
 ちょうど道路と直角にコンクリートの壁が伸びている。壁と集落の間のなだらかな斜面は、刈り込まれた草地になっている。その先には塔が見えた。空港の管制塔を小さくしたような塔だ。次第に強くなり始めた雨のなか、草地を塔に向かって歩いた。
 ここは1989年までの約半世紀間、東西ドイツの国境だった。横断を試みたものは容赦なく射殺された場所なのである。1989年秋にベルリンの壁が開放され、引き続いて東西ドイツの間を数百キロに渡り分断したこの壁も崩された。14年後のいま、東西ドイツの国境跡はここヒューテンスレーベンともう一ヶ所しか残っていないという。
 塔にたどり着いた。作業着を着た中年の男が間口に座っている。「登ってみるか?」と誘ってくれているようだ。直角に近い鉄のはしごをよじ登った2階は、粗末な二段ベッドがあった。オリーブ色の毛布がたたんである。この塔で監視任務についていた東ドイツ兵の宿直室なのだろう。3階に上がると、草地と壁、そして東側の村、ヒューテンスレーベンが眼下に広がった。
 無人地帯。またはデス・ストリップ――死の回廊と呼ばれた場所である。右手にはだかる壁の向こうは、ほんの十数年前まで西ドイツと呼ばれた国があり、左手は東ドイツだった。
 作業着の男は、この塔の修繕をしていて、1945年からヒューテンスレーベンに住んでいるという。ドイツ語のわからない僕にはこれぐらいのことしかわからない。
 ヒューテンスレーベンの村に寄ってみた。平日なのにレストランは閉まり、タクシーを呼ぶにも公衆電話もない。何人かの住民に話しかけたが、誰も電話を貸してくれないし、「西側」に帰るバスもないようだ。静まり返った雨の町でたたずむ。ふと、あの男は、元監視兵だったのではないかと思いついた。
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