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世界32か国、16か月の旅。

ユーラシア横断陸路の旅 まえがき

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那馬~華僑の源流を訪ねての巻

»カテゴリ: 中国

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那馬村の子どもが麻雀牌で遊ぶ(2004年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 いままで会った旅人は数多いが、炊飯器を携帯していたのはピーターだけだ。
「どこでも米が食える、魚を蒸せる、お湯も沸かせる。こんなにいいものはないぜ」
 昨年の12月30日、凍える寒さのテヘランの安宿で彼に会った。香港生まれの彼は、なにを語るにせよ合理的に説明した。湯のみは洗わない、茶で変色して汚く見えるだけ。ガイドブックはいらない、地図があればどこでも行ける。面白い人だなと思った。
 旅を終えた彼は、那馬村という農村にいた。鶏が放し飼いにされた路地の奥に建つ黒レンガ造りの家。好きなだけ泊まっていい、という彼の言葉に甘えて、一週間を過ごした。
「正確に言うと、ここに住んでいるわけじゃない」とピーターは断る。「旅を終えたばかりで今は仕事がない。ここは静かだし、香港で暮らすよりも破格に安い」。彼らしい説明が続く。中国の農村部では、固定資産税がかからない。水道や電気代は破格に安い。食事は自炊、村に遊び相手はいない。本は読みきれないだけある。金の使いようがない。
「この家はね、1926年に曽祖父が建てたんだ」。2階まで吹き抜けのこの家は、風通しがいい。ピーターが増築した台所と便所が離れにある。屋内と屋外の境があいまいなのが面白い。初日の晩、酒を飲みながら、彼が家の由来を話してくれた。
「祖父が新妻と入居して、僕の父が産まれたんだ。ところが、祖父は出稼ぎに行ってしまう。キューバだよ。なぜか、そのまま便りがなくなった。生活に困った祖母はシンガポールへ出稼ぎ、父は軍隊に入り、家族はちりぢりになったんだ」
 父は国民党政府の軍隊にいた。内戦後、敗軍とともに香港に渡り、家は共産党が接収。80年代に入ってから、華僑財産の返還が決まり、ピーターの手に戻った。那馬村には香港人が取り返した家が他にも何軒かあるという。家の話は、そのまま中国現代史だった。
 那馬村が属する台山市は、「中国第一僑郷」と呼ばれ、昔から海外へ人が出て行った土地である。近年になっても海外熱は冷めない。同じ路地から何軒もブラジルへ行った、故郷を捨てなければならないのは悲しいことだ、とピーター。しかし、同時に彼は「自分は中国人とは思わない。強いて言えば、香港生まれの人」と言う。週に2日しか市が立たない那馬村からキューバ、シンガポール、香港、ブラジルへ。人は故郷を捨て、旅に出て、違う人になる。
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