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世界32か国、16か月の旅。

ユーラシア横断陸路の旅 まえがき

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ホーチミン~変貌した街の巻

»カテゴリ: ベトナム

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豪雨のなかバイクが走り抜ける(2004年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 市内はバイクの洪水だった。バスターミナルから乗った市バスは、クラクションを鳴らしてバイクをはね退けながら進む。冷房が効いた快適な車内から見たサイゴンは、人通りの多い、華やかな大都会になっていた。
 公式にはホーチミン市と呼ばれるこの街に初めて訪れた1991年。そのときは、渋滞なんかなかった。空港からの旧式ルノーは、静寂と暗闇の街に不相応な並木道を通って、市内に向かっていた。社会主義全盛期だった。短期間の旅でも外国人登録やら国内旅行許可やらが必要で、外国人旅行者は数えるほどしかいなかった。
 いまサイゴンにはアジアでも有数の安宿街がある。インド料理から和食まで、ビザの延長からガイドブックの海賊本まで、ホーチミンTシャツからマリファナまで、なんでも揃う。あのサイゴンに戻ってきた実感が沸かない。
 各地で出会った旅人と再会したりして、この街で1週間を過ごした。13年前に泊まったホテル、訪れた博物館や市場、出合った人の家を歩き回った。小汚い国営百貨店は冷房がギンギンに効いたショッピングセンターになっていたし、毎日遊びに行った一家の家は食堂になっていた。記憶していたサイゴンの薄汚れた風景は、純白とクリーム色に塗り替えられていて、レロイ通りを行く人々はみな忙しそうにしている。ベンタン市場前のロータリーで、青空に浮かぶ入道雲を見て、やっと見覚えのある場所に来たと思った。
 大学に入った年から毎年のように旅をしてきた僕にとって、サイゴンはもっとも強く印象に残る土地だった。ベトナム戦争が終わってから16年も経っていたのに、残滓が色濃く残っていた。シクロの運転手はテキサス訛りのべらんめえイングリッシュで窮状をまくしたてていた。戦時中、テキサスのどこかで訓練を受けた南ベトナム空軍のパイロットたち。まともな職に就けない、共産主義者がベトナムをダメにした、国を出たい、と口々に言った。市場の売り子をしていた20歳の女の子に求婚された。冗談かと思い、あしらったら、大真面目な顔で、いかにベトナムには未来がないかを訴えた。
 いまサイゴンの人たちはなにを考えているのだろう。ふらふら街を歩いている外国人に声をかけてくれるのは、屈託のない物売りだけである。
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