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世界32か国、16か月の旅。

ユーラシア横断陸路の旅 まえがき

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チャウドック~フランス語を話す運転手の巻

»カテゴリ: ベトナム

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チャウドックの市場(2004年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 バスが止まって、目が覚めた。メコンの川原にいた。ラオスでは、小船でこの大河を遡った。今度は流れに従って南下する。目指す先はベトナム国境だ。
 芝生の中のカンボジア側国境事務所で出国印をもらい、5分ほど緩衝地帯を進んだところにベトナム側の検問所があった。上陸したとたんに物売りの子どもが襲いかかってくる。ユー・ワン・チューインガム? ハウ・アバー・コーク? 草色の制服が吼え、子どもは散る。短い音が激しく変調するベトナム語の罵声。銃声みたいな言葉だ。
 陽気でのどかなカンボジアから5分進んだだけの国。血の巡りが速い人たちが怒鳴りあい、走りまわる。船を乗り換えて2時間後、メコンに面する地方都市、チャウドックに着いた。オートバイをすり抜け、水浸しの市場で海藻と小魚の目玉状の物が入った飲み物を飲んだ。帰り道に酔っ払いに呼び止められた。なぜかえびせんを浮かべたビールを差し出してくる。呷ると、男たちは大喜びして、こんどは焼酎を勧めてきた。陽気な人たちだ。
 この町でオートバイの運転手に話しかけられた。カンボジアで生まれ育ったベトナム人、と滑らかなフランス語で自己紹介するムッシュー・ルン。
「プノンペンのリセでフランス語を勉強しておりました。トゥールスレンという高校です」
 クメールルージュの刑務所だった高校だ。数日前に行ったばかりの高校の見取り図を描く。ムッシューはA棟を指差して、ここが私の教室でした、と言った。拷問ベッドがあった部屋。1975年、彼は卒業を待たずして中退した。学校が閉鎖されたからだ。首都を乗っ取った共産軍は、全市民に「避難」を命じ、彼は地方の寒村に収容された。強制労働の日々が始まった。ときおり目をつけられた者が黒服を着た兵士に連行されていった。ひとりとして帰ってこなかったという。一年後、ベトナム人は申し出るように、と呼びかけがあった。誰も応じなかった。殺されるとしか思えなかった。その後も呼びかけは続き、結局ベトナムに引き渡された。両国の政治取引だったらしい。
 それから28年。彼は一度もカンボジアに戻っていない。いまだにベトナム語の読み書きは苦手というムッシューは、いつか必ず母校を見に行きたいと、そればかりを繰り返した。ここはカンボジア国境から2キロ離れただけの町である。
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