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世界32か国、16か月の旅。

ユーラシア横断陸路の旅 まえがき

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プノンペン~高校の拷問室の巻

»カテゴリ: カンボジア

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トゥールスレン高校跡の拷問室(2004年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 1975年4月、クメールルージュと呼ばれた共産ゲリラがプノンペンに凱旋入城した。住民は即刻、市外へ避難するよう命じられ、首都は無人化した。新政権の蛮行はのちに世界を震撼させることになる。農村に送られた人々を過酷な強制労働に駆り立て、インテリや資産家、それに共に戦ってきた同志を抹殺した。その数、300万人ともいわれる。
 プノンペンの中心部からオート三輪で10分ほどの住宅地にトゥールスレン高校があった。無人化したプノンペンに高校は不要だ。ここは刑務所になった。外国諜報機関との関係を疑われるなど、人民の敵と目された多くの人々が収監、拷問された。
 殺風景なコンクリート造りの4階建てが4棟、中庭を囲む。順路に従い、A棟の1階に向かった。半分に仕切られた教室には、鉄製ベッドがひとつ置かれただけ。説明書きはない。マットレスはなく、鉄の骨組みが露になったベッドが異様である。どの教室も同じだ。鎖が無造作に置かれたベッドもある。タイルの床が黒ずんでいる部屋もある。血痕だろう。教室の窓から陽光が差し込んでいる。ここで収監者が拷問されたという。
 別の棟には、収監者の顔写真が張り出されていた。不思議なことに微笑んでいる顔もある。真面目な顔もあるし、明らかに引きつっている顔もある。皺だらけの老爺も10歳になるかならないかの少女もいる。人民服風の作業着を着た人が多いが、どういうわけか花柄のドレスを着た若い女性もいる。入口でもらったパンフレットによれば、収監者の総数は、少なくても1万499人、これ以外に子どもが推定2000人いたという。彼らはほぼ全員殺された。
 いまは博物館になった高校跡の入口には土産物屋がある。正門前には、バイク・タクシーの運転手がたむろし、飲み物を売る屋台も出ていた。小洒落たホテルまで建つ。わずか26年前まで刑務所として機能していたのに、なんという変化だ。そのころ、プノンペンは無人都市だったから、辺りはあらかた廃墟だったに違いない。非現実的な感じがする。
 正門前に陽気な運転手が待っていた。30代半ばぐらいか。僕と同い年なら、4歳から8歳までクメールルージュ政権下で育ったことになる。その間、子どもは洗脳され、悪行の尖兵に使われていたという。自分の親を告発することも奨励された。彼はどんな記憶を持っているのだろうか。まさか聞けない。車を走らせた。

* カンボジア大虐殺バーチャル博物館(ミネソタ大学ホロコースト・ジェノサイド研究センター、英語)
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