Tanimichi World Blog

世界32か国、16か月の旅。

ユーラシア横断陸路の旅 まえがき

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深セン~中国の旅はやめられないの巻

»カテゴリ: 中国

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沙頭角の検問所。中国人が大勢中英街に”一日游”しにいく(2004年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 香港から羅湖行きの通勤電車に乗った。40分ほど団地だらけの風景がすぎ、だんだん田畑が増えてきたところで終点になった。改札を抜けると、そのまま香港出境の検問所である。人の流れに従い、通路を進んで、あっけなく深セン駅に着いた。国境にへばりつくこの超現代都市を見てみたいと思って、泊まることにした。
「いいホテルあるぞ、4ツ星なのに200元(約3000円)、どうだ?」
 駅の外で宿の客引きに捕まった。中国らしからず英語をしゃべる。事前に安宿の目星をつけてあるので、自信持ってあしらう。旦那はめげない。60元の宿が徒歩3分のところにあると言い出す。本当にあった。冷房、有線テレビ付きで65元。貰った名刺には武装警察招待所とあるが、家族が住むアパートの一室。中国の旅はこれだからやめられない。
 翌日、市バスに乗って、芝生に高層アパートが並ぶ深セン市内を駆け抜けた。降りたのは沙頭角。一本の道の両側がそれぞれ中国と香港になっているところがあるらしい。中英街という。香港側からは入れないが、中国からなら入れるかも知れない。
 並木道の突き当たりに現代中国らしい奇抜な検問所ビルが建っていた。外国人は公安局で許可を取れば中英街に行けると案内板にある。警官に再確認すると、公安局の場所を教えてくれた。5元で済むという。果たして公安局に着いて、筆談。険しい表情の女警官は達筆だ。外籍人士不可以弁証。這里是辺防禁区。
 やっぱりこれかよ。現場に行って状況を確認するまで、はっきりしないのは、途上国どこでも同じだ。諦めて検問所に戻る。入境許可代行屋とおぼしき連中に声をかけられた。僕は外国人だからダメだよ、と筆談。群がる代行屋の中にはたちぐらいの青年がいた。僕の筆談ノートを一枚ちぎって、でたらめな書き順で下手な字を書く。
「我有身分証 借 5元」。おいらの身分証を貸してやるよ、ほら。ニキビ跡が頬に残るあどけない青年の白黒写真が貼ってあった。僕に似ていなくもない。中英街に自由に出入りする資格のある地元の住民だという。一瞬迷ったが、あまりに危ない。目と鼻の先は警官だらけなのだ。僕らがおどおどと検問所を通った瞬間に捕まるだろう。しかし、ここは中国だ。なにが起きるかは、現場に行くまで何もわからない。
* 深セン=センは土偏に「川」の字。
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香港~冷えたビールには熱したグラスの巻

»カテゴリ: 香港

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ビクトリア港の夜景(2004年)
Photograph by Kenta Tanimichi


 香港に着いた翌日、ピーターに誘われて、彼の友だちと食事に行った。地下鉄の駅からそのままエスカレーターを上り、ガラス張りのショップが並ぶビルにあるレストランに入った。魚やエビが泳ぐ水槽がいくつもある大型店。円卓に通されて、紺のブレザーを着たウェイターがマスクをしているのに気づいた。他の従業員もことごとくマスクをしている。マスクだけではない。冷えたビールが台無しになるぐらい、グラスが熱されていた。
「SARSの影響なのだろうけどね」ピーターの友人が訝しがる僕らに説明してくれた。「この店はやりすぎだと思うけど、香港人は衛生に敏感だから」
 中国から来ると、香港の清潔さは見事だ。テレビは、水たまりをつくらないよう頻繁に政府広報コマーシャルを流す。デング熱を防止する目的だという。デング熱は蚊が媒介する熱病。マラリアと異なり、予防薬はない。蚊の発生を食い止めるのが、防止最善策なのだという。蚊は水に繁殖するから、水たまりをつくるな、となる。確かに香港の街をサンダルで歩き回っても、足が汚れない。歩道は段差なく敷かれ、水たまりがないのだ。
 1年近く途上国と言われる地域で過ごしてから、マカオ、そして香港に来て、戸惑うことが多い。道を渡ろうとすると、車がちゃんと止まる。トイレの紙を便器に捨てていい。街にあふれる標識の指示通りに進むと本当に目的地に着く。これが文明なんだなと思った。立派な地下鉄はイランにもあるし、ブロードバンドはベトナム全土に普及している。パキスタンにだって高速道路もマクドナルドもある。しかし、安全思想、衛生観念、公共秩序といったような、人々の考え方は、建設工事をすれば完了というわけにはいかない。
 文明。中国を旅していると、バスターミナルのような思いがけないところで、この文字に出会う。「講究社会公徳、建設文明城市」などとスローガンが大書きされている。もちろん誰も気にしない。走る車から空き缶を投げるし、ところかまわず痰を吐く。僕も特に気に止めなくなった。香港に来てみて、文明のありがたみに戸惑い、感心する自分がいた。
 ただ、文明のある土地の旅は、安心で楽だが、面白くはない。なにもかもが予定通りに進み、人に道を聞く必要さえない。旅人を見かけても話しかけるきっかけもなく、味気なく夜が過ぎる。ああ、懐かしい、先進国的退屈。

マカオから香港へ~バス6本、8時間の旅の巻

»カテゴリ: マカオ

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車窓から見た深セン経済特区(2004年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 香港に投票しに行くピーターと夜7時に香港郊外で落ち合うことにした。マカオから高速船に乗れば1時間弱で着くが、155パタカ(約2500円)もかかる。中国経由ならだいぶ安くなる。一日に2回国境越えをするのも面白そうだし、中国ルートで行ってみよう。
 午前10時半、宿から近い新馬路で市バスに乗る。流れは順調、20分で国境に着いた。国境の行列は長い。珠海に戻ったときは正午近くになっていた。さらに、うっかり遠回りするバスに乗ってしまい、1時間もかかって、香洲汽車站(バスターミナル)着。20分後の午後1時発深セン行き快巴(急行バス)が取れた。80元。菓子パンを買って乗車。すぐに睡魔に襲われた。
 バスが止まって目が覚めた。深セン経済特区の入口である。乗客は警察官に書類を見せている。入境許可書がないと立ち入れないのだ。前の席の学生たちは下ろされてしまった。許可書がなかったのだろう。僕らはパスポートを見せるだけ。バスは深セン市内に入った。女車掌が乗客に下車地点を聞いて回っている。皇崗口岸と紙に書いて示す。香港国境だ。
 ここで降りろと言われたのが福田汽車站。冷房が効いた立派なビルである。4時、市バス乗車。高速道路をいくつも経由し、芝生にそびえる高層住宅を見ながら、深センを縦断。ここは中国のロサンゼルスだ。1時間後、皇崗口岸着。巨大な国境検問所でエジプト人ばかりの行列に並び、滞在時間5時間の中国を出国。ここから香港側検問所までは専用バスに乗らないとならない。今日5本目のバスに乗る。
 発車したバスは、すぐに国境橋に入った。左側車線を走っている。もう日が暮れかかった道の左右に人家は見えない。香港の国境近辺は一般人立ち入り禁止になっている。5分後、香港側検問所着。3か月滞在許可がもらえた。また専用バスに戻り、さらに5分走ると終点。落馬洲という変な地名。両替所も商店も見当たらない、ただのバス停に下ろされた。間もなく元朗行きの市バスが滑り込んできた。高速道路を経由して、20分後、香港北郊のベッドタウン元朗に着いた。6時40分。8時間かかったが、なんとか約束の時間に間に合った。バス6本の運賃は総額で約100元。高速船利用に比べ1300円近く安くなった。閑人でないとできない芸当である。
* 深セン=センは土偏に「川」の字。

マカオ~アベニーダの香水の巻

»カテゴリ: マカオ

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昼下がりの喫茶店(2004年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 繁華街の新馬路の外れに宿を取った。別名アベニーダ・デ・アルメイダ・リベイロ。狭い歩道をせわしく急ぐ人とすれ違いざまに、華やかな香りがした。反射的に振り返るが、もう誰かは分からない。最後に香水の匂いをかいだのはいつだろう。イスタンブールあたりだったような気がする。それからというもの、すれ違う人は、もっと湿っぽく、汗臭かった。羊肉やニンニクや葉巻の匂いがした。ここは西洋の飛び地なのだと思った。
 マカオは路地の街だ。適当なところで曲がり、麺粥屋や中華おでん屋の路地に入る。路地はそのままカーブしながら坂を上り、視界が開けたところに、ピンク色の教会が建っていた。丘の下は華南、上はリスボン。ここでは不思議と違和感なくつながっている。
 買い物客でにぎわう通りに洋書店を見つけて、入ってみたら、ポルトガル語の本ばかりだった。歴史書から雑誌まで、一通り揃う。分厚い装丁のマカオ年鑑があった。いまだにポルトガル人がマカオ政府の公務員を務めているようだ。植民地がなくなったからといって、本国に帰っても、職のあてがない人もいるのだろう。マカオでは、いまだにポルトガル語が公用語のひとつ。地元紙には、毎日のようにポルトガル人らしき名前の判事が署名した、民事訴訟の判決文要旨が載る。中国人同士の金銭トラブルをポルトガル人判事がポルトガル語で裁く有様を思い描くと妙な気もする。それにしても、この本屋、静かである。
 坂道を上がったり下ったりして、ファストフード店に入った。僕らの前に白人の恰幅のいい女性が英語で注文している。肘で挟んだ紙袋にさっき入った本屋のロゴが見える。ここの店員はポルトガル語ができないのか。ノー、イングリッシュ・オンリー。苦笑いしてそう答える。どことなくバツが悪そうな表情に見える。
 この街に飛び交う言葉は何種類あるのだろう。広東語、北京語、英語、ポルトガル語。大阪弁も何度か耳にした。ロシア語らしき言葉を話す金髪女もいたし、タガログ語も聞こえた。露天の新聞売りに慣れてきた北京語で値段を聞く。返事も北京語。英語でどうして表示価格よりも高いんだと文句を言う。香港紙だから仕方ないでしょ、と英語の返事。僕が日本語でぼやくと、コレ3ドル、マカオノ新聞、安イ。僕はどういうわけか、こういうごちゃ混ぜなマカオがとてもいとおしく感じる。

珠海からマカオへ~超現代都市と「一国両制」の街の巻

»カテゴリ: 中国

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拱北口岸(2004年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 改革開放政策の一環として、最も早く経済特区に指定された珠海市。99年までポルトガル領だったマカオに接する広東省中部の都市である。80年代後半から急激に開発が進んだ街だけに、街路は滑走路のように幅広く、車窓には緑地が美しく広がり、真新しいデパートやファストフード店が目立つ。筑波学園都市や多摩ニュータウンにどこか似ている。あとで知ったことだが、この街は緑地率が45パーセントにもなるそうである。
 バスターミナル内の招待所に部屋を取って、市バスで拱北口岸に向かった。ここにマカオ国境がある。マカオは中国に返還されたから、国境という言葉遣いは正確ではないけれど、実際上は国境以外のなにものでもない。外国人はパスポートがないと越境できないし、「一国両制」政策の下、マカオは中国本土とは別の政治経済体制が維持されているからだ。
 国際空港のターミナルビルのような巨大な拱北口岸。パスポートに出境印をもらい、建物を出て、群集の共に通路を進んだところに同じようなビルがあった。Entradaとポルトガル語表記に繁体字の中国語表記。ここからの澳門特別行政区は同じ中国でも言葉が違う。入境印を押され、行列に着いて行ったところは、ゴミゴミした下町のようなところだった。
 湿気で黒く変色した高層アパート群、鳥籠みたいな鉄柵に覆われた窓から洗濯物が突き出し、繁体字の看板が仰々しい。ビルの谷間は狭い道、日本車が渋滞し、スクーターが走る。超現代都市の珠海とあまりに極端な違いだ。先進国から途上国に来たかと錯覚しそうだが、実際にはマカオの方がはるかに「国民」所得は高い。
 14年前にマカオに来たことがある。香港から高速船で到着し、繁華街の新馬路へ歩いて行った覚えがある。霞がかった海を横に見ながら、うら寂しい大通りをだいぶ歩いた。さきほど国境から乗った市バスは同じルートを進んでいる。記憶と違って、オフィスビルが建ち並んでいた。90年代に新たに大発展したのか、記憶がいいかげんなのか。
 見覚えがある新馬路の入口でバスを降りて、振り返るとリスボアホテルが見えた。前に来た時、ここのカジノに入った覚えがある。リスボア。ポルトガルの首都リスボンは、現地ではこう呼ばれる。一年と2か月前、そのリスボアから旅を始めた。ユーラシアを陸路で東進して、やっと極東まで来た。またリスボアに再会した。
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