Tanimichi World Blog

世界32か国、16か月の旅。

ユーラシア横断陸路の旅 まえがき

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タブリーズ~当惑、当惑、そして当惑の巻

»カテゴリ: イラン

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タブリーズのバザールにて(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 タクシーから降りて間もなく声をかけられた。私の泊まっている宿を見ないか、と髭の男。テヘランから出張で来ているビジネスマンだと名乗るが、信用してもいいのか。国境で秘密警察に尋問されたばかりで、気が張っていた。結局、彼の勧めるままに宿を決めた。
 今朝ドウバヤジットを発ってから、車を4回乗り継ぎ、ようやく百万人都市タブリースに着いた。移動すること10時間余り。だいぶ疲れている。時刻は夜10時過ぎだ。
 夜食後、髭のビジネスマンとその友人と名乗るトルコ人旅行ガイドと茶を飲んだ。のっけから、きわどい話が飛び出す。この国では飲酒は違法だが、大抵の家庭では飲んでいるとか、公立学校は嘘ばかり教えるので、私学に通わせる人が増えているとか。勝手が分からない警察国家で、うかつに同調するのも危険かと思い、適当にうなずいておく。
 翌日、一緒に国境越えをしたチェコ人のイェルカと街に出る。意外にもトルコ東部に比べて、車が多く、街並みもこぎれいだ。昨夜の部屋も質が高かった。トイレは洋式、シャワーの出は良好。暖房は効きすぎで、窓を開けて寝たほどだ。さすが産油国、燃料事情が相当いいようだ。寒かったトルコの安宿とは大違いである。
 大通りに面した店で、丸刈りの店員がイェルカに近寄って、開口一番とんでもないことを言う。政治亡命したいので、手伝ってくれないか。脱走兵だと店員が事情を話す。丁重にあしらって、近くの公園に入ると、今度は初老の男が話しかけてきた。退役軍人の彼の話は、イラン政府の秘密兵器計画を匂わせる怪しいもの。反応しようがない出会いが多い。
 夜、宿の廊下でトルコ人ガイドと出くわした。中国人の若い女の子と話さないか、と誘ってくる。16歳から23歳の女の子4人組。でたらめな中国語で挨拶したら、大はしゃぎだ。この街でトルコの入国許可を待って20日経つという。「土耳古国入国目的如何?」と筆談すれば、ひとり教養がある子が「観光」と書く。他の子も寄ってきた。顔つきが険しい。上海に近い港町から来た彼女らは、トルコのことは何も知らず、英語もできない。たぶんヨーロッパで不法就労したいのだろう。だまされて売春でもさせられるのだろうか。まさかそんなことを聞くわけにもいかない。人はそれぞれ違う旅をしているのだ。そう自分を納得させて、別れを告げた。再見!
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バーザガーン~秘密警察の国の巻

»カテゴリ: イラン

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ドウバヤジットからイランへ向かう道(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 雪原をひた走り、イラン国境に着いた。チェコ人のイェルカが指差す先は、晴天を引き裂く見事な雪山であった。アララト山。40日滞在したトルコに別れを告げよう。
 トルコの出国印をもらい、わずか歩くと、鉄の引き戸が立ちはだかっていた。引き戸の向こう側には肌色の制服を着た係員がぼんやりしている。向こう側がイランか。やがて戸が開いて、イラン側の検査場ビルに入った。
「パスポートをいただけますか」
 入国窓口に並んでいた僕らに丁寧な英語で話しかける男性がいる。てっきり入国管理官かと思い、パスポートを預けて、連れて行かれたところは観光案内所だった。イランらしくネクタイはしないスーツ姿の男は、観光案内所のマネージャーと名乗った。律儀な口調で、国境から先の進路について説明する。
「はい、検査が済みますと、車でバーザガーンの町に行ってください。1000トマン以上払う必要はありません。きっと吹っかけて来ますが、1000トマンでいいのです」
 イランの通貨単位は、リアルといい、紙幣もリアルで表記される。しかし、人々はリアルは口にせず、トマンという別の単位で言い表すという。しかも、トマンとリアルは等価ではなく、1トマン=10リアルとなるのでややこしい。こんなことも教えてくれた。
 ありがたい説明だと感心しながら聞いているが、説明はなかなか終わらない。そろそろ出発しようか、と腰を上げると、もう少しお話できませんか、と頼んでくる。年齢や職業を聞かれ、和華子がアメリカの大学に留学したと話す。すると、彼は「ホー」と感心したようにうなり、妙な展開になってきた。
「では、我らが友好国アメリカについて話してください」
 気味が悪い。世間話を装った尋問だ。こちらも世間話風に「あなたも英語が上手ですね」と切り返すと、半年前までイラク国境で米軍の電波傍受をしてだいぶ上達した、などと言う。イランは秘密警察が暗躍すると聞いていたが、ずいぶん露骨なものだ。
 秘密警察氏ににこやかに別れを告げて、1000トマンの乗り物でバーザガーン国境を後にした。この国では言動には注意しないと危なそうだ。

ウルファからドウバヤジットへ~雪原の道の巻

»カテゴリ: トルコ

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ワンからドウバヤジットへの車窓(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 目が覚めると、雪景色にいた。シャンルーウルファから夜行バスに乗り、トルコ東部を北上している。ワン湖あたりは標高が1700メートルもあり、トルコ随一の厳寒地帯である。
 雪に覆われたワンのバスターミナル。隣に停車しているレモン色のバスには、見慣れないペルシャ文字のナンバープレートがついている。イランのバスだ。ワンからイラン西部のウルミエへ向かう国際バスだという。これに乗っても良かったが、結局ワンから更に北上したドウバヤジットで国境越えすることにした。ウルミエについて情報が全くないし、ドウバヤジットなら歩いて国境越えができる。
 ワンで知り合った韓国人の女の子とクリスマスイブを祝い、僕らは国境の町ドウバヤジットへ向かった。
 2000メートル級の高原地帯を抜ける道筋には、人はほとんど住まない。ただただ雪原を越える。狭いライトバンで隣り合わせたおばさんが盛んにカザフスタンと言う。僕らのことをカザフ人だと思ったみたい。おばさんはアゼルバイジャン人。この辺りは、トルコ、イラン、それに旧ソ連のアルメニアとアゼルバイジャンの国境が接近する。そういうわけもあってか、トルコ軍の検問がいくつかあった。全てが凍てつく中、雪原に歩哨がたたずむ。
 ドウバヤジットは、兵士と酒屋とホテルが目につく雪に埋もれた町だった。ここからイランへ向かう。今までの国境越えと違って、気が重い。アメリカが「悪の枢軸」と呼ぶ国。女性は黒い布で体を覆い、酒は全く入手できない。それに海外発行の銀行カードもクレジットカードも使えないから、現金を持ち歩くしかない。イランからトルコに入った旅人は、誰しもイランはメシがまずいとこぼしていた。英語はほとんど通じないという。ガイドブックは持っているが、心細い。
 イランへ向かう旅人と出会えないかと訪れた安宿でチェコ人と会った。僕らと同じようなルートでイラン、パキスタン、インドへ向かうと言う。イェルカと名乗った彼に最後のビールを飲み交わして、翌朝一緒に国境越えをする約束をした。

シャンルーウルファ~クルド人の国の巻

»カテゴリ: トルコ

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シャンルーウルファの池(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 トルコに戻ってきた。この国の人は本当に人がいい。道に迷うと、誰かしら寄ってくる。そのまま酒を飲みに行ったこともあった。酒場で、相乗りしたタクシーで、気前よくおごってくれる。世界中でこんなに気持ちいい人たちはそんなにないと思う。
 ただ、そんなトルコ人に東部へ行くと言うと、誰もが反対する。
「クルド人テロリストが跋扈する危ない地区だ。行かないほうがいい」
 あれだけ人のいいトルコ人がクルド人のことになると意固地になる。クルドの分離独立はありえないと誰もが言うし、そもそもクルド人なんて存在しないとまで言う人もいた。それでいて、クルドの住む東部に行ったことのある人には全然会わない。しっくりこない印象を持ったままクルド人住民が多数を占めるシャンルーウルファに向かった。
 バスターミナルで幸先よく宿を斡旋する男に声をかけられた。頭にスカーフを巻いた濃い口髭親父。PLOのアラファト議長みたいなだな、と言うと、「オレはアラブじゃない、クルドだ」と豪快に笑った。
 親父に連れて行かれたのは、ただの民家。本人はペンションと言うが、客室はどうも息子の寝室。便所を含めて5間しかない狭い家だった。それに、出てきた奥さんは口の下に「火」の字そっくりの刺青。家族3人で盛んに歓待するので、そのまま泊まることにした。
 アラファト親父の家暮らしは思いのほか面白かった。朝起きると、奥さんが手作りした朝食が待っている。食べている間、アラファトがブロークンな英語で解説しまくる。オレの奥さん、料理の天才、なんでも手作り、ぜんぶ天然素材、健康満点よ・・・。日中はアラファトに街を連れ回してもらい、夜は夜で銭湯に行ったり、親戚宅を回ったり。クルド語を習って、クルド音楽を聴いて、クルドの風習を教わった。
 アラファト親父は、90年代半ばまで山で養蜂をしていたが、トルコ軍とクルドゲリラの戦闘が激化したあおりを受けて、町に出てきたと言う。彼がことあるたびに語る政治は至って単純だ。デモクラシーとディクタトールのふたつしかない。民主政治は良くて、独裁政治は悪い。オレ、学ないから難しいことわかんねえ、でも家族愛さない、民族愛さない、神様信じないはダメだろ、だからクルドはディクタトールな政府と戦うのさ。

ニコシア~「運命が決まる日」の巻

»カテゴリ: 北キプロス

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選挙結果を報じるテレビに食い入るキプロスの人たち(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 僕らがニコシアを訪れたこの日は、選挙投票日であった。昨日の地元紙に「運命が決まる日」と大見出しがあって、初めて知った。
 2004年5月に「南」が欧州連合に加盟する。分断が続けば、南北の経済格差は広がるばかり。そんな背景もあって、慌しく統一機運が高まっている。今日の選挙の結果、統一派が「北」の国会の議席で過半数を占めれば、早期に統一が実現する予定だ。
 この日の夕方、キプロス人の女性にパーティーに誘われた。高校教師の彼女が友人と統一派の勝利を願って集まる趣旨らしい。願ってもない機会にニコシア郊外の邸宅に連れて行ってもらう。20代の学生や若い社会人が集まるくつろいだムード。焼かれたばかりのバーベキューが次々に運ばれてくる。隣に座った女子大生がソーセージを口に運ぼうとした僕を制して、「あの、豚肉、大丈夫ですか」。「北」の住民はトルコ系がほとんどだから、豚肉を食さないイスラム教徒のはず。冗談かと思ったら、本当に豚肉だと言うから驚いた。
「私たちトルコ人じゃないですから」
 統一派の彼らは、本土のトルコ人とは生活風習や考え方が異なると言う。「南」のギリシア系とは宗教は違うが、通じ合える。一方で、反対派は、分断後に本土から移住してきたトルコ人や公務員が主体。国の将来を考えれば、統一しかない、となるようだ。
 彼らは裕福そうな若者で「北」の住民の声をどこまで反映しているのか分からない。内戦中の民族虐殺を経験した世代は、「南」への憎悪も強いかもしれない。ただ、熱っぽく語る彼らに、部外者が口にするのははばかれた。
 夜10時になって、部屋の隅のテレビに人が集まり出した。暗い口調が漏れる。最終結果は、両派が25議席ずつ取り合う、完全な引き分けだった。
「トルコ系キプロス人は終わりだ」
 傍らにいた青年がつぶやく。
 今後、どうなると思うか。
「本土の連中が決めるしかないだろうよ」
 彼はそう投げやりに答えると、そのまま玄関へ夜の街に出て行った。

ニコシア~世界最後の分断首都の巻

»カテゴリ: 北キプロス

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金網の外に「南」の首都が見えた(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 トルコの地中海岸の港町からフェリーに乗って、地図に載っていない国にやってきた。北キプロス・トルコ共和国という。地中海に浮かぶキプロス島の北半分を実効支配しているが、トルコを除き、どの国も正統な国家として承認していない。だから、普通の地図には載らない幻の国なのだ。
 北キプロス側の船着場には、ちゃんと入国審査場があった。係員に入国印をパスポートではなく、別紙に押すように頼む。そうしないと、今後ギリシアに入国できなくなると聞いたからだ。係員は露骨に嫌な顔をして、滞在目的や宿泊先を矢継ぎ早に問いただしてきた。別紙に押された入国印には、トルコ語の国名を略したKKTCとある。
 キプロス島はイギリスから独立後、しばらくはギリシア系とトルコ系の島民が共存していたが、70年代に内戦が始まった。ギリシア、トルコの両軍が介入し、トルコ軍が占領した北部に北キプロス・トルコ共和国が誕生したのが1978年である。南半分は国際的に承認されたキプロス共和国が実効支配している。島には両軍が駐屯したままだ。
 ギルネの港に宿を取って、首都ニコシアに向かった。旧市街の外れに寂れた道があって、ここを進んだところに国境事務所があった。両国の分断線は首都の旧市街をきれいに南北に分ける形で横断している。ニコシアは「南」のキプロス共和国の首都でもあるのだ。事務所で「南」に渡れるのかどうか聞いてみた。
「『南』に行きたければ、そこの道を歩いていけばいいけど。ただ、そんなことをしたらギリシア人に撃たれるかもしれませんよ」
「北」は出国を制限しないが、「南」の政府は入国を許さないということらしい。後で知ったのだが、「南」から入国した旅行者は、夕方5時までに戻るなら越境できるし、島民はそれぞれ越境可能だ(「南」の住民は3日まで、「北」の住民は20時間までと滞在できる時間に格差がある)。
 事務所でもらった地図を頼りに、分断線にじかに接する公園に行ってみた。金網の真下は絶壁になっていて、「南」の道を見下ろす格好になる。ごく普通に乗用車が行き交い、通行人も歩いているのが間近に迫っていた。

イスタンブール~あの日、あの時、あの道の巻

»カテゴリ: トルコ

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水晶の夜(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 イスタンブールでイランの入国ビザを取ることにした。この旅で20もの国に入ったが、ビザが必要だった国はない。和華子は紺のスカーフを購入して、”イスラム共和国”に敬意を払って頭を覆った顔写真を撮ってもらった。
 午前中にイラン領事館で申請手続きを済ませた後、近所の銀行に寄るが自動支払機が故障している。他の銀行もみな故障していたので、現金を下ろせず、見物しようと思っていた宮殿に入れない。夕方になって、路面電車を待っていると、通りすがりの誰かが英語で「今日は走ってないぞ」と怒鳴って、立ち去った。妙な日だ、この時まではのんきにこんなことを考えていた。
 僕らがちょうどイラン領事館にいた頃、電車通りに面した英国領事館が爆破された。総領事含む館員14名が即死。ほぼ同時刻には、市北部の英国系銀行のトルコ本部ビルが爆破され、多数が死傷。いずれも、電車通りを進んで、現場近くに行ってから、警官や見物人に聞かされて初めて知ったことだ。この街で6日間に4件目の爆破テロである。
 ガラスの破片だらけの現場近くから、いま居候している和華子の友人の美智子・ベコ宅まで歩く。考えてみれば、今朝イラン領事館に出向く前、日本領事館に立ち寄っていた。位置関係は、北から南へ、居候先-日本領事館-英国領事館-イラン領事館となる。時間配分や移動手段の選択によっては、英国領事館付近をぶらぶら歩いていてもおかしくない。自分が巻き添えを食らう可能性が十分あったと今更ながら気づいた。
 1995年3月20日、地下鉄サリン事件が起きた。築地に近い勤務先に着いてから、近所で何か大惨事が起きたらしいと知った。僕が目をこすりながら有楽町線に乗っていた頃、日比谷線築地駅を出た辺りには大勢の死傷者が横たわっていた。
 たまたまある道を歩くと、高性能爆薬に焼かれ、別の道を歩くと銀行の支払機が故障していることに腹を立てている。たまたま日比谷線に乗って早目に出勤すると、毒ガスに息を止められ、遅刻寸前に有楽町線に乗ると、退勤後に新宿で泥酔している。
 僕らは今そういう世界に生きている。

エディルネ~”デッドゾーン”の防人の巻

»カテゴリ: トルコ

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「記念撮影しようよ」と誘ってきたギリシア兵。撮影後に上官から叱られていた(2003年)
Photograph by Kenta Tanimichi


 人影のない畑が両脇に広がる田舎道。木立に入ったと思ったら、唐突に兵士がいた。ヘルメットに戦闘服。両手には小銃。ギリシア国境だ。
 トルコ最西端の都市エディルネは、ブルガリア国境から18キロ、ギリシア国境から10キロの位置にある。到着した翌日、ギリシア国境を目指した。
 エディルネ近郊の砂ぼこり舞う村で国境への道を聞く。雑貨屋にいた女性が国境は4キロ先だが、そこまで向かうバスはないと教えてくれる。歩くか、と考えていると、女性が通りに出て、バスを呼び止めた。このバスで国境に行きなさい。回送中のバスをタクシー代わりに使え、ということらしい。400万リラ(約290円)で合意して乗り込んだ。
 この国境では、通過する車両も人も見当たらない。森の一本道を武装兵士が立ちはだかっている。本当に通過可能なのか。不安になってきた。
「オーケー、ノープロブレム。ギリシア側には町があるよ」と話す将校に出国印を押してもらう。彼自身は、その町には行ったことがない。
 田舎道を進む。数百メートル歩くと、前方にまた兵士。
「ハロー、ジャパニーズ?」
 適当に相槌を打って立ち去ろうとしたら、「閑だからおしゃべりしようよ」。陽気なトルコ兵のすぐ向かいには、別の兵士が立っている。ギリシア兵だ。ふたりの間は幅2メートルに満たない”デッドゾーン”という緩衝帯。ここに両国の国境線がある。
 ギリシア側に立ち入ると、今度はギリシア兵が話しかけてきた。さっきのトルコ兵と同世代の兵役中の若者。向かいに立つトルコ兵と話をするのかと聞くと、「そりゃ、するよ」。弛緩しているようにも見える彼らだが、構える自動小銃には銃剣が刺さっている。どんな会話をするのだろう。お互いの国には行ったことがないというふたりにとって、2メートルの”デッドゾーン”は果てしなく遠い。
 実は両国の国境には地雷が敷設されている。アテネ五輪を控えて、地雷撤去に合意、としばらく前に読んだ新聞にあった。その記事は、不法越境したパキスタン人7人が死亡したと続いていた。僕らが日帰り越境したわずか3か月ほど前のことである。

エディルネ~「そうか、ここからアジアか」の巻

»カテゴリ: トルコ

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エディルネのバザール(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 いよいよヨーロッパを去る日が来た。ブルガリアの古都プロブディフから国際バスに乗って、トルコへ向かう。終点はイスタンブールなのだが、僕らはエディルネで降りる予定だ。国境のトルコ側にある人口20万の地方都市である。
 前日にバスの切符を購入したときは、エディルネは無理だが、「2キロぐらい」離れた所でなら途中下車可能、と聞いていた。タクシーで簡単に市内まで行けるから大丈夫とも。
 国境を越えてすぐ、運転手が「エディルネ」と叫ぶ。降りたそこは高速道路の入口にたたずむ給油所だった。すっかり日が暮れた中、道路を照らすオレンジ色の照明だけが煌々と光る。タクシーなんかどこにもない。一緒にバスから降りたネクタイ姿の気の弱そうなおじさんがトルコ語で給油所に行こうと言う。というか、そう言っているよう気がする。とにかく寒いのでついて行く。
 おお日本人か、そこに座れ、暖を取れ、チャイを飲め、パンを食え、両替しないか、ドイツ語できるか、大丈夫だ車は来る。誰も英語ができないのに、どんどん話しかけてくる。でもなぜか言われたことが全部分かる気がする。なんだか違う世界に来たなあ、そうか、ここからアジアか。
 本当にやってきた乗り合いミニバスに乗って、エディルネに着いた(18キロもあった)。一緒に降りて、安宿まで探してくれたネクタイおじさんに、お礼にとブルガリア煙草を差し出すが、おじさんは、「トルコ人として客人のあなたに当然のことをしたまでだ。お礼など不要」といったようなことを胸を張って断言し、僕の両頬にキスをして夜道を去っていった。トントン拍子にことが弾むのが心地いい。
 夜の街は活気づいていた。小さな店には裸電球が灯り、道行く人が僕らに手を振って挨拶して行く。数ある食堂を冷やかしながら、店先に出来合いの料理を陳列した店に入り、トマトソースに肉が入ったおかずとピラフを指差す。文句なしにうまい。地元の大学生に会えば、「日本の経済発展の秘訣は?」と質問攻めして来る。人の反応が早くて、いままでとは違うリズムを感じた。国境を越えて、別世界に来た感じがするのは久しぶりだ。

ブカレスト~愛されない巨大宮殿の巻

»カテゴリ: ルーマニア

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偽シャンデリゼの突き当たりにそびえる人民宮殿(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 バルカン半島を南へ、南へと進んできた。このままブルガリアから夜行列車に乗れば、翌朝にはトルコのイスタンブールに着く。だが、トルコへ向かう前に、ルーマニアに立ち寄ることにした。この国にどうしても見たいものがあった。
 首都ブカレスト。重厚な石造りの街に旧式の小型車ばかりが目立つ。旧市街を通り抜けると、緑地のかなたに見える。1980年代、独裁者チャウセスクが国力を結集して建設を進めた宮殿だ。その名も人民宮殿という。米国防総省庁舎に次いで世界で二番目に大きな建造物だとも聞いた。
 宮殿への入口がわからず、外周を延々1キロ近く歩き、ようやく入館。ガイドの女性が案内する館内は、純白の大理石、きらびやかなシャンデリアと水泳プールのように巨大な絨毯だらけだ。意外にもチャウセスク夫人のハイヒール・コレクションといった独裁者夫妻の贅沢な暮らしぶりを感じさせるものはない。宮殿の完成を待たずして、夫妻は銃殺されてしまったからだ。ベルリンの壁が崩壊した直後の1989年12月末のことである。
 当然、宮殿の建設は中断したが、その後再開し、現在でも続いているという。
「あまりに巨大なので、壊すのも現実的ではなくて、ゆっくりでもいいから完成させたほうがいい、ということになりました」とガイド。経済運営があまりうまくいっていないこの国にとっては、建設を継続する負担は少なくないという。
「チャウセスク時代を知っている世代にとっては、恐ろしい時代の象徴でしょうか。まあ、いい感情は持っていないと思いますよ」
 だからと言って、空っぽの広間を通るたびにチャウセスク批判を聞かせるわけでもない。独裁者自身はここで執務したわけでも、住んだわけでもないので、批判話につなげにくいのだろう。いま、数々の巨大な広間は国会議事堂に使われているほかは、会議場や宴会場として民間に貸し出されているとのことだ。
 巨大な木製のドアを開けば、同じような広間が現れる。ある部屋でガイドが窓を指差す。窓の外には、人民宮殿と似たような建築様式の建物が大通りを挟んで左右対称に建ち並んでいた。シャンデリゼ通りを模したという。

ソフィア~憎めないヒッチハイク男の巻

»カテゴリ: ブルガリア

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ヒッチハイク男(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 ヨーロッパの旅も終わりに近づいている。セルビアからブルガリアへ南下し、ルーマニアへと移動した。この辺りまで来ると、歩道の敷石は外れ、市電やバスは常に満杯で、街を歩けば物乞いに取り囲まれる。機能するはずのものが機能せず、足りず、存在しない。
 ただ、旅をするのが不便になればなるほど、反比例して旅人との出会いが増える。インドからオートバイで走って来た元営業マン、父親の故郷を訪ねにイランへ向かう19歳のドイツ娘、二言目には「イエッサー」の元米海兵隊員、朝からビールをチェイサー代わりにウォッカをあおるイギリス男、徴兵中の苦労話が面白かった小説家志望の韓国人大学生。
 そんな中で話がめっぽう面白いフランス人がいた。シンガポールからヒッチハイクだけで移動し、故郷に向かっているという。中国で「北京」と書いた紙切れを手に、道端に立っていたときのこと。しつこく誘惑する娼婦を追い払おうと嘘をついた。
「泥棒、私、お金、ゼロ。今、行く、北京、フランス大使館」
 会話張を指差して、苦境を伝えると、娼婦は携帯電話を取り出して、どこかへ電話。間もなくパトカーが現れた。どうやらこの娼婦、嘘話を真に受けて、通報したようだ。今さら嘘でした、とも言えないまま事情聴取される。警察は彼をなぜかバスターミナルに連れて行った。バスにタダ乗りできる話がついていた。「警察、哀れな西洋人を助ける」と警察は美談、お手柄話にしたいらしく、新聞記者まで集めていたのだ。かくしてまんまと長距離バスをヒッチハイクするという類まれな経験をしてしまったそうだ。
 この手の本当か嘘かよく分からないエピソードが次から次へと出てくる。一体どんな仕事をしている男なんだ。彼が取り出したのは報道記者証。よく見るとpassportのスペリングが間違っている贋物。自作したという。しかも、ニセ記者証を使って、とある有名F1レーサーを取材し、雑誌掲載に持ち込んだとも言う。聞けば聞くほど正体不明な男だ。
「オレさ、学歴もないし、美男子でもないし、楽器もできない。だからヒッチハイクしてるのさ。人生は一回。人と違うことしないと面白くないじゃない」
 法螺くさい話ばかりのずっこけ男のこの話だけは妙に正直な感じがして、いい奴だなあ、と何杯目かのビールジョッキを重ねた。
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