Tanimichi World Blog

世界32か国、16か月の旅。

ユーラシア横断陸路の旅 まえがき

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アーヘン~隣国で買い物の巻

»カテゴリ: ドイツ

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賑わう街道沿いから裏にまわると、旧道沿いの国境があった。手前はオランダの家々、奥の黄色の家はドイツ。右のレンガ小屋が昔の検問所だ(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 ドイツに入った。デュッセルドルフ、ケルンを経て、アーヘンに向かう。地図で見る限り、ここはドイツ、オランダ、ベルギー三国の国境線が交わる地点。河川で区切られているわけではなく、陸路国境。国境マニアとしては逃すわけにはいかない。
 アーヘンは、古い町並みが残る緑豊かな街だった。デュッセルドルフとケルンとはだいぶ印象が違う。おそらく空襲の結果なのだろう、風情のない、戦後風の建物が目についた両都市とは異なり、落ち葉が舞うアーヘンは実に美しい。ただ、妙に人通りが少なく、店が軒並み閉まっている。今日は金曜日なのに、なんで営業していないんだ、食堂ぐらい空けておけよ、と腹を空かせながら歩く。
 大聖堂のそばから市バスに乗った。4キロほど乗って、オランダ国境近くの大学病院で降り、国境に向かう道に出る。家がまばらにしかないアーヘンの町外れの一本道。片側の車線だけが大渋滞している。渋滞の先は国境のはずだが、どうなっているのだろう。
 国境は信号がない交差点だった。交差点の先に、オランダ側の町名を示す標識があって、商店街が奥に見える。オランダ側の町はファールスという。国境をまたいで、オランダ側の最初の店に入る。二階建てのスーパーマーケットは買い物客で大賑わいだ。レジに並ぶカートには食料品や生活雑貨が積まれ、煙草売場の客はカートン単位で煙草を買い込んでいる。平日の午後の割にはかなりの客入りである。
 ファールスの観光案内所でようやく混雑の理由を知った。今日、10月3日金曜日はドイツの祝日、それも東西ドイツ統一記念日だったのだ。ただ、民族の悲願が達成されてから13年後の市民にとっては、「オランダで買い物でもするか」となるみたいだ。
「食料品はこっちの方が安いんで、ドイツから買いに来るんですよ」と観光案内所の係員。「ドイツの方が安いのは電化製品。みんなドイツに買いに行くから、こっちには電器屋はありません。ま、車に10分乗って、アーヘンで買えるから全然問題ないですね」
 この国境から数キロ山を登っていくと、ドイツ、オランダ、ベルギーの国境線が一点に集まる地点があるという。歩いて行こうとしたが、雨が降り始めたので、断念した。年間100万人以上が訪れるという。
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アムステルダム~バッドガールと合理主義者の巻

»カテゴリ: オランダ

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コロッケ自販機(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


「グッドガールは天国へ行く、バッドガールはアムステルダムへ行く」
 駅前の目抜き通りで売られるTシャツの文句だ。大麻と売春が容認されている自由と退廃の都。チューリップとアンネの家で知られるアムステルダムのもうひとつの顔である。
 繁華街を歩くと、コーヒーショップと書かれた看板が目につく。コーヒーを頼むこともできるが、そんな客はふつういない。大麻を買いに行く店である。薄暗い店内、たちこめる煙。バーカウンターを通り過ぎて奥へ進むと、売場がある。こざっぱりした黒人男性に手渡されたメニューは、銘柄ごとに値段とともに、「初心者向け」「効き目バツグン」などと解説つき。売場の脇のテーブル席には、学生風のグループが大麻煙草づくりに四苦八苦している。実におおっぴろげだ。アムステルダムでは、店の外で大麻を吸っても問題はないと大麻売場の男性は言う。実際、通りを歩くと、時おり大麻独特の匂いが漂ってくる。
 大麻を吸うことが社会的に容認されている国は多い。しかし、アムステルダムのように気兼ねなく売買されるところはめったにない。オランダでは、大麻やマジックマッシュルーム(幻覚キノコ)の売買や使用が解禁されている一方で、中毒性が高い麻薬は取り締まり対象になっている。健康被害がより低い「ソフトドラッグ」を解禁して、危険な麻薬に手を染めるケースを防ぐのが目的だと大麻売場の男性。なるほど。
 合理的といえば、街を歩いていると、歩道におもむろに小便器が置いてあった。囲いもドアもない。酔っていれば使うかも。ファストフード店では、壁一面がコロッケ自動販売機になっている。客は硬貨を投入して、好みのコロッケが入ったガラス戸を開いて、立ち食いする。店員と口を聞かなくてもいいし、安い。街を走るおびただしい数の自転車は、揃いも揃って無骨な年代物。アムステルダムで出会った大学生は、「どうせ盗まれるなら、安い方がいい」と友だちから15ユーロ(約2000円)で買ったのだという。
 夜になると、紅灯に浮かび上がる半裸の娼婦を観光客がフラッシュを炊いて賑やかに練り歩く。ガラス戸の向こうの娼婦が動物園の小鳥みたいでかわいそうになる。売春が解禁されている理由は聞くまでもないだろう。なにしろ世界最古の職業というぐらいだ。
 合理的に考えると、アムステルダム流になる。ワビサビはないけれど。

バーレ~自由気ままな国境線の巻

»カテゴリ: ベルギー

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白い十字架印の手前がベルギー(B)、先がオランダ(NL)(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 アントウェルペンから通勤電車を乗り継いで1時間ほど東に向かい、終点の田舎町で降りる。駅前広場でバーレー・ハートグ行きのバスがあっけなく見つかった。
 数日前、ブリュッセルでベルギー政府観光局に立ち寄り、バーレー・ハートグの行き方を聞いてみた。「バーレー・ハートグ? どこにあるんだ?」
 地図で指し示すと、「なんだ、そこはオランダだよ。オランダ観光局へ行きなさい」と追い返されてしまった。観光局が誤解するのも無理もない。実はこの町は、オランダ領内にある小さなベルギーの飛び地なのである。
 町を抜け出たバスは、草地と森林に挟まれた一本道をまっすぐ向かう。地図によれば、バーレー・ハートグは、この田舎町から北へ20キロあまり進んだところにある。地図を手元に車窓を見ていると、ベルギー・オランダ両国の旗が立った小屋が見えて、どうやらここが国境なのかなと分かる。オランダ領内に入っても風景は変わらず、停留所もあるが、誰も降りず、誰も乗ってこない。
 バスを降りたところは、洒落たカフェの前だった。歩道にせり出した客席には、上品な老夫婦がコーヒーを飲んでいる。ここから数歩歩くと、地面に見慣れない印が描かれているのが見えた。白い十字架が一列に並び、手前にNL、十字架の先にBと文字が書いてある。国境線らしい。NLはオランダで、Bはベルギーなのだろう。だとすると、バス停はベルギー領バーレー・ハートグではなく、オランダ領にあることになる。オランダ領はバーレー・ナッソーという町だと分かった。
 十字架の国境線をジグザグ状にたどって行くと、小さな洋品店の軒先に行き着いた。歩道側にはベルギー、店内はオランダになっている。ここでは、歩道に描かれた控えめな十字架印と車道に規則的に打たれた銀色の鋲が自由きままに道を横切る。玄関のドアを境に国境が横切る民家があった。几帳面に両国の番地を示す標識が貼ってある。
 国境を隔ててふたつの町があるのではなく、もともと存在したひとつの町がなんらかの歴史的経緯で別の国に分断されてしまったようである。この町の住民には一体どんな不都合や恩恵があるのだろう

アントワープ~ベルギーの言語事情の巻

»カテゴリ: ベルギー

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アントウェルペンの駅(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 地方によってフランス語圏とオランダ語圏に分かれるベルギーにあって、首都ブリュッセルだけは両言語地域である。ここでは駅名や道の名前も徹底して両言語併記になっている。パリからの列車が到着する駅は、オランダ語では南駅を意味するZuid Stationだから、フランス語ではGare du sudかと思えば、どういうわけかGare du midiになる。機械的に対応しているわけでもなく、ややこしい。
 ブリュッセル北駅から快速列車に乗って50分ばかり北へ向かう。到着したアントウェルペンでは、もうフランス語は見かけない。標識は全部オランダ語。フランス語は断固拒否するぞ、と意気込んでいるみたいに全然みかけない。オランダ語は英語にもっとも似ている言語とは言うが、聞いても読んでもほとんど解読不能だ。
 アントウェルペンの駅で妙な光景を見かけた。趣味のいい黒いコートを着たキャリアウーマン風黒人女性がやはり黒人の小太りなおばさんに話しかけていた。
「フランス語できますか」
 僕にもわかるフランス語だ。小太りのおばさんは、困った顔をして、ノン。ところが、キャリアウーマンは全く意に介さない。ゆっくりめのフランス語で、町中に行くトラム(路面電車)は何番ですか、と聞いている。第二外国語レベルの僕にもわかるぐらい分かりやすく言っている。
 小太りおばさんが「トラム、セントラール」と言って、親指だけを折った右手を見せた。
「4番? 4番のトラムでいいのね」
「ノン、ノン」と言いながら、小太りおばさんは、今度は両手の親指を折って、振って見せた。8番の意味らしい。キャリアウーマンがきれいなフランス語で8を意味するhuitと言い、おばさんがあいかわらず困った顔で、激しくうなずいた。短い会話は終わり、ふたりは別の方角に歩いて行った。
 ふたりともベルギー人なのか、どちらかが外国人なのかどうかはわからない。ただ、仮にもフランス語が公用語のひとつになっている国の大都市で、フランス語で話しかけると、数字もわからない人がいるのだ。この国も大変だ。

ブリュッセル~旅の第一印象の巻

»カテゴリ: ベルギー

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フランス語とオランダ語で表記された標識(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 今まで国境を越えるたびに、国境の町に宿を取って、行ったり来たりしてきた。フランスからベルギーへ入るにあたっても、国境の町を考えなくはなかったが、結局、飛ばしてしまった。ベルギーはフランス語を使う国だし、首都のブリュッセルはパリから特急で1時間20分しかかからない近さだ。たいした違いはなかろう。
 甘かった。黒ずんだ石造りの建物、地下を走る路面電車、コーラより安いビール。安宿を探しに街に出て目にしたものは、以前に1泊だけしたドイツに似たところばかりだ。
 ブリュッセルの宿はユースホステルになった。それでもベッドがふたつあるシャワー、トイレ共同の部屋は「シーツ代」込みで40ユーロ(約5400円)もする。フランスではなぜかどの街でも35ユーロ、スペインでもだいたい30ユーロ前後だったから、高く感じる。おまけに1泊しか泊めてくれないという。明日の宿探しをしないとならない。
 いままでの経験上、ある程度の規模の街だと、どこでも安宿はあったし、駅前だとか観光名所の周りに固まっていることが多かった。ガイドブックに頼らなくても、観光案内所で安宿リストをもらって、歩き回ればどこかに泊まれた。
 街に降り立って、目星をつけた宿で値段を聞いて、部屋を見せてもらう。すんなり決まることもあれば、値段が気に入らなかったり(よくある)、部屋が気に入らなかったり(めったにない)して、重い荷物を背負って歩き回ることもある。人の出会いは第一印象が大切だと言うが、貧乏旅行の場合もそうだと思う。
 この街の安宿リストはわずか5軒。仮にも一国の首都。もっとあるだろう、と文句を垂れながら、安宿を求めて街を歩く。南駅にも中央駅にも安宿街は見当たらないし、観光名所のあたりにある宿は高い。結局、日が暮れるまでさまよって、どこも明日の晩は満室だ。
 その晩、出会った日本人の大学院生と建築家と夕食を共にすることなった。ブリュッセル名物の小便小僧の噴水に通りかかって、建築家の小池さんが笑いながら言う。
「世界3大ガッカリ名所って言うそうですよ」
 たしかに何が面白いのかさっぱりわからない。ブリュッセルとは相性がよくない。明日の朝、延泊させてもらえなければ、移動しよう。次の街はきっといいことがあるはずだ。

バイユー~ノルマンディーの浜と墓の巻

»カテゴリ: フランス

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22歳のカナダ兵の墓(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 フランスでひとつだけ見てみたかったところがある。ノルマンディーの浜だ。
 ほとんどあてがなく降り立ったバイユー駅。不安になる間もなく、駅前ホテルの壁に「Dデーツアー」と大書きされている。地図を見ると、ここバイユーは、英仏海峡に突き出すノルマンディー半島の北東岸から10キロほど内陸に入った町だとある。パリから急行列車でわずか2時間ほどの道のりである。
 町の規模に似つかわしくない見事な大聖堂がある。それとDデー博物館があると知って、行ってみた。Dデーは、米英連合軍が1944年、ナチスドイツから欧州大陸奪還を果たすべく、ノルマンディーの浜に上陸したその日を言う。
 翌朝早く、ホテルにワゴン車がやってきて、Dデーツアーに出かけた。おしゃべりなフランス人男性が運転する車は、町で出ると、畑の真ん中の一本道をけっこうな速さで進む。遠くに木立があるほかは朝靄が畑の緑を覆うだけ。のどかそのものの道だが、ガイドが時おり「この角でドイツ兵が4人死にました」「この集落は全滅しました」などと説明する。
 浜に着いた。空は灰色の濃淡が重なり、海は思ったよりも穏やかだ。1944年の5月、この浜にカナダ兵が上陸したときは、浜辺は障害物だらけだったとガイドは言いながら、写真集を開いて見せた。
「どこかで見たことがありますね? そう、『プライベート・ライアン』。ハリウッッドもときには正確ですね。ドイツ軍は実に頑強な障壁を設けて、連合軍を迎えたのです」
 映画で描かれた米軍やイギリス軍の活躍ぶりに比べて、カナダ軍の存在は忘れられがち。しかし、死亡率が最も高く、任務を全うしたのはカナダ軍だとガイドは力説する。
 カナダ軍の墓地に寄った。手入れされた芝生の中、白い墓標。ひとつの墓の前に花が置いてあった。しゃがんで、花とともに残されたカードの手書きを読む。末尾に「君のブラザー」とあった。僕が以前住んでいたカナダの街からそれほど遠くない田舎町から兵士の「ブラザー」は花を置きにやってきていた。カードが雨にも濡れていないところからすると、「ブラザー」の来訪はつい昨日のことのように思えた。僕には「ブラザー」は、死んだ兵士の年老いた兄としか思えなかった。その兵士は59年前に22歳で死んだとあった。

* 映画『プライベート・ライアン』(Amazon.co.jp)
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パリ~ようやくラーメンの巻

»カテゴリ: フランス

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パリのラーメン屋(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 かれこれ1か月前、モロッコからスペインに上陸してから、ほぼ一直線に北東に向かっている。マドリッドからバスクに来てからうすら寒くなり、フランスに入ると、長ズボンを履くことが多くなった。9月も半ばに差しかかり、旅に出て2か月になろうとしている。
 パリ・モンパルナス行きの超特急TGVは、音もなくボルドー駅を滑り出た。在来線と同じ線路を100キロを優に超す速度で突っ走る。旅の途中で購入したトマスクック時刻表の地図によれば、トゥールを過ぎてしばらくすると、TGVは在来線から専用線に入るとある。専用線に入ってからは、通過駅がほとんどなくなる。ときおり線路が枝分かれしては、またしばらくすると合流する。ちょうど高速道路のインターチェンジのように、大きな町の前後に在来線への連絡路が作られているらしい。新幹線よりも、高速道路に似た設計思想でできているようだ。
 モンパルナス駅についた。巨大なコンコースから表示に従って、地下に下り、メトロを待つ。パリのメトロは、不思議なことにバスのようにタイヤを履いていて、乗るときは手動で扉を開く。右側通行である。道路も鉄道も右側通行だから地下鉄も右側通行なのは当たり前だけど、マドリッドの地下鉄は左側通行だったような気がする。
 いくつかの線を乗り継いで、パリの西南端から一駅分市外にはみ出したマルセル・サンバール駅で降りた。ブローニュ・ビランコートという市にある。
 ここに住む和華子の友人ユキ、シルバン夫妻のアパートに泊めてもらうことになっている。ふたりは、駅から歩いて5分もかからないアパートの4階に住んでいた。
 翌日、パリの繁華街でラーメンを食べた。まともな和食を口にできる街にやってきて、欲しくなるのは、味噌汁でも寿司でもなくて、ラーメンなのである。カウンターにはひとり客がつまらなそうな表情で麺をすすり、対面する厨房は煙がたちこめる。奥に進んで、テーブル席。フランス人風の客が慣れた調子で割り箸を使って、ソース焼きソバにくらいついていた。新宿か池袋のラーメン屋にいるみたいな気分になる。この店のラーメンと餃子は内装と同じぐらい日本そのままだった。

ボルドー~国際色豊かな街の巻

»カテゴリ: フランス

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ボルドーの美女(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 フランスの南西端ビアリッツを発つと、車窓から海は見えなくなる。ひたすら平らなフランスの大地は、時おりオレンジ色の屋根がきれいな村を通過するほかは、麦畑と植林された人工森だけである。スペインのバスク地方の湿っぽい、山がちな風景はどこにもない。
 食の大国フランスでは、食事スタイルもだいぶ違う。スペインでは、どこでもバルがあって、タパと呼ばれる小皿に盛った料理にありつけた。数百円しかしないし、調理法や素材も豊富だった。ところがフランスに入ると、カフェはどこでもあるが、タパはない。
 ボルドーに着いて、学生街で小腹を満たそうと物色していると、学生たちが群がっている店があった。ケバブ屋である。店頭に肉の塊が置いてある。1メートルほどの高さの塊は、壁に備え付けられたグリルで焼かれながら、ゆっくりと回転している。塊の表面を刀で削いで、トマトやきゅうりやレタスとともにパンに挟んで食す。肉に染み込んだスパイスの味と肉汁と野菜とマヨネーズが混ざって、なんともうまい。ボルドーではケバブ屋は街中にいくらでもあって、トルコ人やギリシア人がやっている。
 肝心のフランス料理は、1000円以下ではなかなかありつけないから、どうしても外国人のやっている店に行く機会が増える。フランスの若者はケバブを食べて育つのだろう。
 スペインからやってくると、ボルドーは国際色豊かに感じる。ベトナム人やカンボジア人がやっている中華料理屋が並ぶし、ポルトガル人向けの食材店にはリスボンでよく見かけた干し魚が何種類も売られていた。宿に帰る途中は、モロッコ人やセネガル人が多く住む地区を通る。その通りでは、電話屋が建ち並ぶ。店内には電話ボックスがいくつもあって、国際電話が格安でできるらしい。通りに面した窓ガラスにはアフリカや東欧の国名と電話料金が貼ってある。
 フランスで日本の影響力を感じるには、最寄りの本屋に行けばいい。マンガである。少年マンガ、少女マンガ、SF、名作、新作とジャンルは幅広い。それこそ、『ブラックジャック』から『GTO』まで、『アキラ』から『吉祥天女』まで、日本のコミックがそのままフランス語訳されて、本屋の一角を独占している。『課長島耕作』は見当たらなかった。フランスでは、日本のサラリーマン事情はウケないのかもしれない。
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