Tanimichi World Blog

世界32か国、16か月の旅。

ユーラシア横断陸路の旅 まえがき

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ビアリッツ~バスク人の話の巻

»カテゴリ: フランス

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ビアリッツの夜景(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 僕にとってバスク人は未知の人たちだった。ただ、バスクに来てみて、彼らが実に人当たりがよく、料理をつくるのがうまく、美しい女性が多いという印象を持つようになった。そのバスク人と幸運にも食事をすることになった。
 ベトナム料理は初めてだというふたりに春巻きを勧め、乾杯を差すお互いの言葉を教えあい、自己紹介をして、バスクの土地や人々についての感想を言った。そして、バスクについて教えてもらえないだろうか、と切り出した。
「バスクはどこから来たのか誰も知らないの。はっきりしているのは、私たちはスペイン人ともフランス人とも全然違うということ。考え方も、食事も、服装も全部違うのよ」
 金髪の男が「文化が違うんだ」と続け、「僕らは違う人々で、自分たちのやり方が好きなんだ」とワインを片手に力説する。
 酒や食事を追加し、軽い話題になっては、話はまた彼らのバスクへの思いに戻っていく。「バスクは本当は独立したい。けれどもスペインもフランスもバスクを消そうとしている。言葉も文化も全部。それと、あと大きな問題があるの。ETAって知ってる?」
 ETAというテロリストの活動ぶりはスペイン滞在中、数日おきに報道されているのを見聞きしたが、それ以上のことは何も知らなかった。
「バスクに工場があるとするだろ。その工場は、スペインに税金払うよな、州にも払うよな、それとETAにも払うんだ」
 払わないとどうなるんだい。
 彼はちょっとのけぞってみせた。「そんなやつはいない。そんなことをしたら殺されるからだ。必ずね。バスクではETAの悪口は言ってはいけない。高級な車も買えない。どこでETAが見ているか分からないからな。ETAはそういうやつらなんだ」
 彼らはどうしても僕らに勘定を払わせてくれなかったので、次の店はおごると言って、彼らの大衆車に乗って、海辺に移動した。
「日本人と酒を飲むとは思わなかったな。日本人も同じじゃねえか」と彼は言って、僕らは乾杯をした。
* まさかとは思ったが、話の性質上、バスク人カップルの人物が特定されるような情報は控えた方がいいと考えた。彼らの名前、職業や写真が出てこないのはそんなわけである。
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ビアリッツ~海辺のリゾートの巻

»カテゴリ: フランス

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ビアリッツの食事は高い(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 スペインを発つ日が来た。第一印象はあまりよくなかったが、気軽な物腰、安くてうまい食事、それにフラメンコや建造物の優雅さに心魅かれることが多い一月だった。
 イルンの宿から徒歩1分の駅からエウスコ・トレンで2駅、4分。フランス側の国境の町エンダイアに着いた。ここからフランス国鉄でバイヨンヌという町へ向かう。そこにあるバスク博物館が目当てだ。
 切符売り場の行列に並んでいる間、和華子がバイヨンヌではなくビアリッツにしよう、と言う。地図で見ると、ふたつの町は隣接しているが、ビアリッツは海に接している。海辺の方がいいじゃない、じゃあそうするか、とビアリッツ行きに変わった。今日からはガイドブックがない。ポルトガルもモロッコもガイドブックなしで来たから、なんとかなるだろう。見知らぬ町まで25分の汽車旅だ。
 ビアリッツの観光案内所で1軒しかないという1ツ星ホテルを予約してもらい、バックパックを背負って、歩き始めた。大通りを渡って、路地に入ると、白亜のビルの谷間に白砂が見えた。波穏やかな浜がせまっている。ビーチリゾートだった。海辺まで徒歩1分の最高の立地に日当たりのいい安宿が取れた。幸先がいい。
 さすがフランスのリゾート地だけあって、町並みは美しいし、道行く人も品がいい。店の人たちはわりと流暢な英語を話し、感じがいい。フランス人に抱いていた偏見を正さねばならない。しかし、困ったことに物価が高い。レストランの前に手書きされたメニューの価格は安くても1500円ぐらい、高いとその倍はする。恐ろしくなって、最初の食事は3ユーロのチーズバーガーとなった。
 サンドウィッチ類ばかりの食事に飽きてきて、ベトナム料理屋に行ってみた。満席の店の外で待っていると、若いカップルが入ろうとするから、満席だよと教えてやった。ふたりが話す耳慣れない言葉が気になる。君たちはどこの国の人なんだい。
「私たちはバスク人」と赤毛の女。金髪の男の方はおぼつかない英語で、ドノスティアの近くにある町からサーフィングをしに来たと説明する。話しているうちにテーブルがひとつ空いたので、バスク人カップルと一緒に食事をすることになった。

イルン~国境行き電車の巻

»カテゴリ: スペイン

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イルンの駅で(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 ドノスティアからわずか20キロ東にフランス国境がある。国境の町イルンまで通勤電車で行けると知って、乗ってみた。バスク電車の意味になる「エウスコ・トレン」は、バスク一帯に線路網を持つ私鉄線である。ドノスティアと国境を結ぶ線は、15分に1本の頻度で運行されている。幹線でも1日に数本しか走らないスペイン国鉄とは大違いだ。
 幅の狭い電車は、ほどほどの乗客を乗せて、国境に向けて出発した。カーブを曲がり、短いトンネルをいくつも抜けては、洗濯物を干したアパートの合間を練って進んでいく。東京で乗りなれた西武新宿線を思い出させるのんきな私鉄である。
 30分後、イルン着。意外と人通りが多い。ポルトガル・スペイン国境のときと同様、イルンについてなにも予備知識がない。宿がないようなところだったら、急いでフランスへ向かうつもりでいたが、心配は無用だった。国鉄駅のそばに、ペンシヨンの看板が出ていた。その名も、ロス・フロンテリーソス――国境の意味なのだろう、多分。名前が気に入って、部屋を取った。
 スペインらしく昼間は営業しない観光案内所の窓にイルンの地図が貼ってあった。目抜き通りを左に曲がって、しばらく歩くと、スペイン・フランス国境の川を越える橋があると読める。住宅地の中のなんの変哲もない道。歩道を進むと、あっけなく橋があった。川幅は案外狭くて、100メートルもなさそう。本当にこれが国境なのか。車道の中央分離帯にFRANCEと彫られた石があって、どうやらここが国境らしいと分かる。ここから先は、フランス共和国ピレネーアトランティーク県エンダイヤ町である。
 眠ったような町エンダイヤで、店頭に品書きが出ていた食堂に入る。先客2組は、ワイン・ボトルと食事を前にして、ひそひそ話している。何語で話しているのか全く聞き取れないぐらい静かな声。店主らしい青年は、にこやかに微笑んで、小さな声でボンジューと言った。この国では、食堂では静かにしないといけないらしい。
 特に見物するところもないようで、町のヨットハーバーから船に乗って、5分。対岸の波止場の落書きと、用もなさそうにたむろする中年男たちのパカパカと聞こえるスペイン語を聞いて、ちょっとほっとした。

ドノスティア(サンセバスチャン)~系統不明の民族バスクの国の巻

»カテゴリ: スペイン

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ドノスティア(サンセバスチャン)の港。標識は上がバスク語、下がスペイン語(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 ケリーがアメリカに帰る日が来て、ルリコが日本に戻り、マイの大学が始まる日が迫ってきた。僕らの居候生活も1週間を過ぎ、そろそろ旅立つころだと思い、アルベルトにそう告げた。彼は真剣な顔つきでクリスマスに僕の故郷に連れて行ってやる、と言い、僕らも東京に来い、と誘った。
 マドリッドから一路バスクへ向かう。スペインでは、地方ごとにかなりの自治権が与えられており、ところによっては独自の公用語を定めている。なかでもバスク地方は、パイス・バスコ(バスク国)というぐらいで、独自色が強い。分離独立を主張する勢力が力を持っており、テロリストのETAも独立を主張しているそうである。そもそもバスクは、民族的にも言語的にも他の地方とは全く異質で、系統不明の民族だと言われることが多い。
 峠を越えて、バスがバスク国に入ると、道路標識は二言語表記になり、目指すサンセバスチャンはバスク語でドノスティアという地名になると知った。遠目からは芝生のように見える緑が谷間を覆う風景。雲の隙間からときおり光がさしこむ。今まで旅してきたイベリア半島やモロッコの乾燥した大地とは大違いだった。
 ドノスティアに着いて、海岸を見ただけですっかり気に入ってしまった。心地いい潮風が吹くなか、夜8時だというのに泳いでいる人がいる。海辺の市街にはバスク特有の書体で描かれたバルの看板が連なり、広場の芸人は、通行人をおちょくったり、追っかけたりする即興芸で笑わせる。この街のバルは、カニ、エビ、サーモン、マグロをふんだんに使った1皿300円もしないようなツマミを食わせる。スペインのいろんな街でバルを出歩いてきたが、ドノスティアは文句なしに最高だ。
 それに、この街の人々は明らかに今まで旅をしてきた他の土地の人々よりも、愛想がよくて、感じがいい。最初は偶然に気持ちのいい店員が続いただけかと思ったが、そうではなかった。おまけに海と山が見えて、涼しい港町で育った僕にとって、この街はどうしても初めて来たところとは思えず、よけいに気に入ったのだろう。この土地の豊かさにすっかり魅了された。

マドリッド~ふつう暮らしの巻

»カテゴリ: スペイン

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バルで酒を注ぐアルベルト。彼の故郷アストリウスの流儀だという(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 アルベルトたちのアパートは住宅広告風に言えば、2LDK、約60平米、6階建の3階、日当たり良好、駅まで徒歩5分、都心20分、スーパー近し買い物便利、皿洗い機・冷暖房完備。とりたてて高級な住宅地でもなさそうだが、荒れている感じはない。アルベルトが言うとおり、典型的な中産階級の住宅地みたいだ。
 僕らが転がり込んできた翌日から、居候がもう一人増えて、6人暮らしになった。僕ら、アルベルト、ケリーに、日本人留学生のマイ、その友だちで名古屋から遊びに来たルリコ。突如として日本人の出入りが増えて、近所の人が怪しまないか。とにかく僕らのマドリッド住まいはこんな感じで始まった。
 アルベルトは弁護士だが、実に質素だ。携帯電話は持っているが、固定電話は持たない。車にも乗らず、ビデオも持っていないし、家にパソコンもない。その反面、週に数回は昼休みに自宅に戻っては食事を作ったり、買い物をしたりする時間がとれるみたいだ。金曜日の午後は仕事がないとかで、彼と近所のスーパーに行くと、買い物客で大賑わいだった。まとめ買いする日のようだ。魚売り場でズワイガニを700円ぐらいで買って、まるごとゆでて食べた。週末は公園で本を読むのが楽しみだと言う。
 彼はいつも何かを読んでいて、実に博識である。ある晩、第二次大戦中にスペインが枢軸国側に参戦していたという話を聞かせてみせては、またある日は、スペイン人のシエスタ(昼寝)のとり方についての話になったりする。僕らの会話は、毎晩のように深夜まで、乱れ飛び、尽きることがなかった。彼はときに毒舌で、ときにジョークを交えて、スペインを、スペイン人を、スペインの暮らし方を語った。
 実際、マドリッドの暮らしはなかなか快適だ。野菜が新鮮で安いのが気に入った。トマトソースを作ると、塩を足す必要がないぐらい味が濃い。地下鉄は市内全域100円もしないし、乗り換えも楽だ。東京よりもはるかに人口が少ないのに、路線数は12もある。バスは終夜運転をしていて、街は夜半まで賑わっている。夜10時過ぎから観た映画は400円ぐらいだった。アルベルトからスペインで住むことを勧められた晩は、それも悪くないなと思ったぐらいだった。

モロッコからマドリッドへ~一路北上の巻

»カテゴリ: スペイン

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車窓から見たアンダルシア地方(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 フェズからタンジェを経て、海路スペインに戻り、ロンダ、グラナダとアンダルシアの古都を巡った。このまま東に進めば、世界的に有名なコスタデルソル(太陽海岸)を通って、バルセロナから南仏へ進むことができる。あるいは北上して、マドリッドを通過して、大西洋岸のバスクからフランスに入るという手もある。
 バスクについては、旅の途中、相反する風評をたびたび耳にしていた。スペインで最も食事がうまい、涼しくて景色が美しい、雨ばかり降る、ETAというテロ組織の本拠がある危ないところ。ETAのテロについては、少なくても二度、旅行中に新聞で読んでいた。一度はスペイン南部のリゾート地で爆弾をしかけ、数人の死者を出し、その数日後には北部のサンタンダール空港での爆弾テロ。日本から持ってきたガイドブックには、「ETAのテロは旅行者を狙うことはない」などとあったが、この夏は別のようだ。
 そして、首都マドリッド。こちらは「首絞め強盗」と命名された輩が日本人旅行者を狙い撃ちにしているとガイドブックにあり、現に窃盗被害にあった旅行者と何人か遭遇した。
 迷ったあげく、マドリッド・バスク・ルートにした。ひとつは、テトゥアンで一緒だったアルベルトとケリーがいつでも泊まりに来てよい、と誘ってくれていたのと、もうひとつは不可思議なバスクが見たかったからだ。
 グラナダから乗ったバスは5時間きっかりでマドリッドの南部ターミナルに到着し、僕らはリスボン以来ほぼ一月半ぶりに地下鉄に乗って、アルベルトとケリーのアパートに近いアントニオ・マチャード駅に降り立った。
 モロッコで数時間一緒に見物しただけの間柄なのに、誘いを真に受けて泊まりにいくなんてずうずうしいとも思ったが、アルベルトとはどこか気が合いそうな予感がしていた。彼は環境問題を扱う弁護士でたぶん20代半ば、性格はいささか神経質で慎重、弁護士らしく理屈っぽい話し方をする。ガールフレンドのケリーはフロリダ出身のアメリカ人でマドリッドの大学に留学中、陽気で大胆なアメリカ娘。彼らについて知っているのはそんなことだけだった。そして、彼らのアパートには、僕ら以外にもケリーの友だちが居候中だという。名前はマイ。それしか知らない。さて、なにが起きるのか。
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