Tanimichi World Blog

世界32か国、16か月の旅。

ユーラシア横断陸路の旅 まえがき

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フェズ~国境を越えることを夢見る人たちの巻

»カテゴリ: モロッコ

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フェズのメディナにて(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 モロッコで出会った人々は、外国人の友だちの話をしたがる。「日本にガールフレンドがいる。兵庫県××郡××村、知ってるかい」といった話を何回聞いただろうか。モロッコに絶望した、豊かな国に行って成功したい、そんな夢を幾度も聞かせられた。
 和華子が病床に伏せていたある日、様子を見に部屋にやってきたシーモも国境を越えることを夢見る青年だった。ボクサーのように引き締まった浅黒い青年。どんなに優秀でもワイロを払う金がなければ、警官にもなれないと流暢な英語で嘆く。セウタ国境の柵を泥水まみれで乗り越えた男を思い出した。彼もいつかあの柵をよじ登るのだろうか。
「そんなことをしたら、スペイン兵に撃たれるよ。僕は死にたくない。ちゃんと飛行機に乗って行く。そのためにヨーロッパ人と結婚をして、いつか必ずヨーロッパに行くよ」
 宿から表通りに出るたびに、麻薬いらないか、と声をかける29歳のアブドゥルという男がいた。ビールを飲みに行く僕に、一緒に行きたいと言う。誰かと飲みたくなって、一緒に酒場に入った。おおっぴらに酒を飲めないこの街では、酒場は薄暗く、女はいない。
「最初の2回はスペインに行ったわけ。すぐ捕まって、強制送還。3回目はイタリアに行った。イタリアはよかったよ。捕まらないし、稼げたし。フェラーリに乗ってたんだぜ」
 ビールを追加して、彼のイタリアでの仕事を聞いた。
「ドラッグを売ってた。文字書けないし、パスポートないし。他に仕事はないんだよ。最後はパクられて、ムショに6年。料理当番やってたから、スパゲッティ作らせたらイタリア人もびっくりのうまさだよ」
 近々、スペイン国境をよじ登って、ドイツへ行くつもりだ、もうドラッグは売らない、動物園で働きたい、と言う彼は自信なさそうな顔だった。
 そんなことをしていたら、いつか死ぬぞ。酒が回ってきて、説教口調になった。料理人になれよ、ちゃんとビザを取って行けよ、いつかベルリンでモロッコ料理屋でも開けよ。なんの根拠もない無責任なアドバイスだとは分かりつつ、偉そうに口にした。
 アブドゥルは意外にも、そうか、料理人か、とうなずき、「10年後、必ずベルリンに来いよ。タダ飯食わせてやるよ」と言った。その晩以降、表通りで彼を見かけなくなった。
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フェズ~八方塞がりの食中毒の巻

»カテゴリ: モロッコ

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ハキマとモハメットに看病される和華子(2003年)
Photograph by Kenta Tanimichi


 モロッコの古都フェズに着いた翌朝、和華子が熱を出した。額も腕もかなり熱い。解熱剤を買いに薬局に行こうにも今日は日曜日。おまけに泊まっているのが、おびただしく広い旧市街とあって、タクシーに乗せて医者に行くこともできない。そもそも車が乗り入れできるような幅員ある道などないのだ。八方塞がりだ。
 宿の青年モハメットと到着早々知り合ったモロッコ人女性ハキマに同行してもらい、タクシーで新市街の薬局へ行った。処方箋がいるという。患者なしで医者に症状を説明し、処方箋をもらう。医者のアラビア語は全く分からないので、モハメットのつたない英訳とハキマのフランス語訳に頼るしかない。
 薬を買った帰り、モハメットとハキマが歩いて帰ろうと言う。フェズの旧市街、メディナは汚い。ロバの糞、生ゴミ、汚水を避けながら石畳を歩く。ハエが飛び、坂が多く、気温は高い。彼らは、自宅の廊下を歩くように、メディナの角を曲がり、路地を上がっていく。やがて、モハメットが近道だといって立派な門をたたき、邸宅に入った。家の主に挨拶をし、中庭に面した広間で寝ている子どもにキスをして、冷蔵庫から冷水を出して飲んだ。知り合いの家だという。モハメットとハキマは初対面のはずだったが、いつのまにか久しぶりに会った兄弟のように話が弾んでいる。僕は薬を手にして、後を追った。
 薬を飲んだ和華子に、モハメットとハキマが冷水をかける。熱があるときは、体を冷やすべきだという。気温がすさまじく高く、冷房もないから、彼らの言い分には一理ある気もする。熱は引いたが、翌日も翌々日も具合が悪かった。気温は上がり続け、宿の青年たちによると47度あると言う。和華子の体調がやや回復したところで、新市街の冷房の効いた快適な宿に移し、病院に連れて行った。彼女は点滴につながれたまま入院することになった。食中毒だろうと医者は言う。
 なんとか歩き回れるようになるまで1週間かかった。その間、彼女は便所に行く以外はベッドで伏せ、僕は薬や食べ物を買いに歩き回っていた。宿の人たちとハキマ、同じ宿になった酒造会社の営業マンの高橋さん、フランス人旅行者のロレイン、日本大使館のミキ女史、病院のスタッフたちにお世話になるばかりだった。本人に代わって感謝申し上げます。

シェフシャウエン~幻想的な夜の巻

»カテゴリ: モロッコ

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シェフシャウエンの夜道(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 テトゥアンのバスターミナルは、ラッシュ時の新宿駅のような喧騒だった。バックパックを背負ったままシェフシャウエン行きの切符売り場に並ぶが、4時間後まで空席はないという。ベンツで行くしかないか、と思い巡らしていると、初日のガイド、ムハマンドに声をかけられた。
「どうした、日本人。切符がないのか。ちょっと待っていろ」
 売り場の係員と話し終えたムハマンドの手には2枚の切符があった。
「バスターミナルの人間はみんな友だちなんだ。ムハマンドにできないことは何もないぞ」
 代金を渡して、ありがたく切符をもらった。実は、旧市街を歩いた日、ムハマンドからハッシッシ(大麻樹脂)を買わないかとたびたび勧められたので、その後街で会っても避けていた。うさんくさい奴だと思っていたが、いい奴じゃないか。
 時間が来た。バスの通路には人があふれ、空席などない。すさまじく暑く、汗臭い。冷房設備はもとよりない。立席でもいいから、とっとと出発してくれと怒鳴りたくなる中、運転手が乗客の切符を確認して回っていた。すると、客がどんどん降りていく。間違えて乗ったのか、キセルか。僕らは席にありついたが、結局ふたりの乗客が立ったまま出発した。ムハマンドが無理に切符を売らせたからなのか。わからないことだらけだ。
 リフ山脈の斜面にシェフシャウエンはあった。純白に塗られた迷路の左右は、白と藍の家々。絵本から飛び出たような幻想的な町並みが広がる。一周しても1時間かからないような小さな村。1492年、スペインから追放された回教徒やユダヤ人がつくったのだという。ここは大麻の原産地とも聞いた。
 朝晩問わず、白い風景を歩き回る。山から風が吹き、心地いい。店を覗いては、出されたハッカ茶を飲み、猫を撫でる。村人は静かに話し、押しつけがましくない。
 日が暮れた迷路は、白が浮かび上がるようにぼんやり光る。開け放れたドアの中は、青に塗られた室内があった。エキゾチックなリズムが流れている。なんの店だろう。20代にみえる青年があいさつに出た。アートギャラリーにしたいんだ、開店準備中なんだ、と言い、招き入れる。不思議な夜だった。

テトゥアン~迷路の奥の薬剤師の巻

»カテゴリ: モロッコ

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テトゥアンの薬剤師(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 セウタの宿を引き払い、二日連続で国境を越えてモロッコに入った。国境からベンツをハイヤーして、テトゥアンという街に行くつもりである。運よくバックパックを背負ったスペイン人とアメリカ人の若いカップルとベンツを貸し切ることができた。スペイン人のアルベルトは、タクシーの運転手とべらべら話している。モロッコの北部は、戦前の一時期から1950年代にかけて、スペインの保護領だった時期があり、スペイン語がだいぶ通じるという。
 テトゥアンに着くとたちまち各国語を操る自称ガイドたちに取り囲まれた。自称ガイドが僕ら4人を引き連れて迷路状に広がる旧市街、メディナを進んでいく。家具職人の工房が続く道から押入れよりも狭いような雑貨屋や軽食堂が連なる道に入った。白ペンキで塗られた路地を通り、ロバやリヤカーとすれ違いながら、角を曲がって行く。
 アルベルトがガイドとなにやら話し込んでいる。ガールフレンドのケリーは、角を曲がるたびに小さなノートに道筋を書いている。「どこに連れていかれるかまるで分からないでしょ」と不安そうだ。
 路地の奥。狭い間口の建物に連れていかれた。天井は2階まで吹き抜けていて、壁一面には色とりどりの液体が入った壜が並ぶ。ハーブやスパイスを調合して、客の症状に合った薬を売る店だという。化学製品ではなく、天然の素材を使うから体にいいのだと白い衣装を着た店主は静かに言い、体に塗ると虫除けになるという石鹸状のものだとか、寝る前に匂いを嗅ぐといびきをかかないという香袋だとかを取り出して、諭すように説明する。いわばモロッコ式漢方だ。この国ではこうした薬を使うのがふつうだという。
 一通り説明が済むと、「ぜひお買いあげください」となったので、店の外に出て、タバコに火をつけていると、「タバコは体によくないよ」と店主がぽつりと言う。天然素材にこだわる薬剤師らしいな、と思ったら、「私に一本くれないか」
「体によくないと言ったばかりじゃないか」
 薬剤師はニヤリと笑って、「まあ、そう堅いことを言うな」と言うように僕が差し出したスペインタバコをくわえた。

セウタ~泥水まみれの越境の巻

»カテゴリ: スペイン

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セウタに戻ると、イルミネーションがまぶしい祭りが開かれていた(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 数時間いただけのモロッコからスペインに戻った。今晩の宿はスペイン領セウタに取ってある。国境から市バスで20分もあれば着く、賑やかな港町である。セウタ行きのバス停は、国境の検問所からは30メートルもないぐらいの場所にある。日が暮れかけた国境は、セウタに急ぐ人々でざわめいていた。
 人が騒いでいるのが聞こえて、ふり向くと、すぐ背後の鉄柵に人だかりができている。鉄柵の向こう側から2つ、3つ荷物を投げ込まれた。ビニールでぐるぐる巻きに包装された小包大の箱が次々に投げ込まれては、鉄柵のこちら側で拾った人がそれを持って、歩き去る。
 なにをしているのだろうと、ぼんやり眺めていたら、チェックのシャツを着た大男が鉄柵をよじ登っているのが見えた。こちら側に降りようと、長い足をまたいだところでバランスを崩し、肩から落下してしまった。水たまりに落ちた男の目は、大きく開いていた。怒りを押し殺したような顔に見えた。真剣そのものの顔だった。泥水まみれの男は、周囲の見物人に一瞥もせずに立ち上がり、車列をすり抜けると、背後の丘を駆け上がっていった。
 バス停に並ぶ中に、ついさっき国境検問所で話を交わした女の子がいた。
「なにが起きているのか分かるかい」
「モロッコ人が不法入国しているのよ」とオランダのパスポートを持ったモロッコ移民の彼女が流暢な英語で話す。「鉄柵の向こう側は海でしょ。モロッコ側から泳いできたんでしょう」
「彼らはどこに行くのかな。スペイン本土に行くつもりなのかな」
「無理よ。すぐ捕まるわ。そんなに驚くことではないのよ。これはよくあることなの」
 彼女はモロッコに里帰り中の移民二世で、今日は親戚の女の子たちとセウタの祭を観にいくという。パスポートを提示して正規に越境している。どうして君の親戚は正規に入国できて、あの男たちはできないのか、と聞きたい気もしたが、やめておいた。
 バスが来て、僕らは夏祭りで賑わうセウタへ向かった。

フニデク~「ようこそモロッコ」の巻

»カテゴリ: モロッコ

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国境のモロッコ側(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 入室を拒否された僕は、国境警察隊の事務所らしい建物の外に立っていた。白いガウンのような服を着た男が寄ってきて、「ようこそモロッコ」と日本語で言う。観光局の係官だという。友だちが警察につかまったと伝えると、ホッ、ホッ、ホッと笑って、「ここで写真を撮ってはいけませんよ」とまじめな顔で言うので、少し心配になった。
 10分ほど経っただろうか、和華子と佐藤さんが建物から出てきた。モロッコ領内の国境を写した写真は全て消去させられただけですんだ、紳士的な態度だった、と嬉しそうに話す。
 入国手続きを済ませ、国境検査場を出る。そこは、建物はひとつもなく、ただ砂利敷きの広場があって、年代物のベンツが何十台も止まっていた。小便の臭いが鼻につく。赤旗がなびいていた。観光客を歓迎するムードをなにも感じない。土産物屋もなければ、両替屋もないし、案内板もない。広場の右手には、木が生えていない丘が迫っていて、私服姿の男がたむろしているし、左手の海辺はゴミが散乱して汚らしい。
 ベンツの止まっているところまで行くと、フニデクという町まで行くという。とりあえず乗り込むと、助手席にモロッコ人が2人乗ってきて、総勢6人で出発した。ものの5分もしないうちに、降ろされた。うじゃうじゃ人がいる。道端で肉や魚を焼いている。そこいらに赤旗がはためいている。まるで読めないアラビア文字が目につく。ほこりっぽく、臭くて、蒸し暑い。第三世界に来た。
 フニデクで両替をし、鰯の塩焼きを食べたあと、市場を物色して、また写真撮影が原因で警察につかまって、そろそろスペインに帰るか、となった。
 モロッコの国境では、出国時もちゃんと書類を書かせる。ひとつしかない窓口にパスポートにスタンプを押されるのを待つ人が溜まっている。ひとりひとり通過させるのではなく、窓口にパスポートをねじ込むと、だいぶ経ってから、スタンプの押されたパスポートが放り出される。他人にパスポートを取られてはたまらないから、みんな窓口の周りにたむろすことになる。窓口の中には、仕事をしている気配もない係員が何人もいて、のんきにおしゃべりに興じている。不思議な国境である。

セウタ~国境で身柄拘束の巻

»カテゴリ: スペイン

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スペイン・モロッコ国境(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 旅をしていると、旅人同士でつるんで食事をしたり、乗り物に同乗したりすることがある。貧しくて、衛生状態が悪くて、危険が多い土地であればあるほど、旅人との出会いが多い。今回の旅で、それがほとんどなかったのは、安全な土地を歩いてきたためだろう。
 この日、僕らにとって最初の旅人仲間、佐藤さんとモロッコに向かったときは、そんなことを思いもしなかったけれど。佐藤さんは、建設会社を辞めて世界を放浪している同世代の男性だ。
 アルヘシラスを発って50分。右舷からひときわ大きなスペイン旗がなびいているのが見えた。アフリカに残るスペインの領土、セウタ港に入港した。
 セウタで安宿を確保して、賑やかな中央市場から市バスに乗る。行き先はフロンテーラとあった。モロッコ国境である。坂の多い町中から港に向かうバスは、石造りの壁が続く道を通っている。港を見下ろす砦。遺跡のように見えたが、片隅にスペイン兵が忙しそうに動き回っていた。高射砲が据えつけてある。
 いくつもの停留所で客が乗り降りして、やがて車内は、スカーフで頭を覆った女たちと口ひげを生やす浅黒い男たちばかりになっていた。
 バスを降りたところは、20分前に歩いた、涼しくて、湿っぽいセウタの街とは別世界だった。ふろしきのような布で包んだ荷物を背負う老婆、両替商の客引き、路上の物売り、立ち往生する車列。砂ぼこり、体臭、排ガス。
 足早に進む人の波とともにスペインの係官にパスポートを見せ、金網で仕切られた通路を進む。数十メートルしたところで、左右の仕切りの作りが変わった。モロッコ領内に入ったようだ。そこから先は、どういうわけだか人が停留して、ごったがえし、怒声が聞こえる。地べたに並べた売り物を前にして男が殴りあいをしている。和華子と佐藤さんが遠巻きにカメラを向けた。人の肩越しに乗り出すと、喧嘩現場の背後に、ジーンズを履いた、いかつい男が駆け足で向かってくるのが見えた。
「カメラを出せ。ついてこい」と2台のカメラを奪い取ったジーンズ男の背中には、POLICEの白抜き文字が映えていた。和華子と佐藤さんは、ジーンズ男に誘導されて、通路の奥に建った薄汚いコンクリート建てに入っていった。

ジブラルタル~最後の植民地の巻

»カテゴリ: ジブラルタル

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自動車と飛行機の交差点(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 ラリニア行きのバスが終点に近づくと、右手のビーチ越しに巨岩が現れた。頂上は雲に隠れて見えない。海中から屹立した岩山の尾根には、アンテナやドーム状のレーダーが見える。ヨーロッパに残る最後の英領植民地、ジブラルタル。
 終点のバスターミナルから歩いてすぐの国境検査場。入国スタンプは押さないのかとイギリス側係官に聞くと、「どうして欲しいんだい?」と言いながら、勢いよくスタンプをくれた。「Welcome to GIB」と入国スタンプらしからぬ文言がパスポートに残った。
 スペインとジブラルタルを結ぶ一本道は、検査場を出たところでウィンストン・チャーチル・アベニューになった。イギリスの植民地なら左側通行なのかと思っていたら、右側通行のまま。岩山に向かって伸びた道は、そのまま滑走路と交差する。飛行場を作る土地が足りないようで、車と飛行機が平面交差する羽目になっている。
 植民地の中心部は、薄暗く、今にも雨が降りそうな雲行きだ。岩山にかかった雲のせいなのだろうか。スペインで過ごした2週間で一度も経験していない雨になるのか。さすがはイギリスの植民地、気候まで本国と同じだ。
 タバコや酒を免税価格で売る店ばかりが目立つ街で地元紙を買う。一面に「共同統治案は受け入れられない」と見出しが躍っていた。ジブラルタルをイギリスとスペインの両国で共同統治する案がイギリス政府で模索されており、植民地住民の頭越しに進められているらしい。植民地側が憤慨していると記事にはあった。
 レストランに入った。イギリスなまりの英語を話すオバサンが注文を取りに来たが、何を聞いても要領を得ない。しまいには申し訳なさそうに「実は今日が初日なの」と言い訳をする。植民地役人か軍人の奥さんがバイトをしているのかもしれない。隣のテーブルはスペイン人家族。中学生ぐらいの娘がはりきって英語で注文をしていた。しばらくして、ふと隣を見ると、両親はなぜか険しい表情でフィッシュアンドチップスをつまんでいた。

アルヘシラス~豚の太股の巻

»カテゴリ: スペイン

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豚の太腿をぶら下げたバル(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 今回の旅にはひとつだけテーマがある。目的というほど切実なものではなくて、できれば行く先々で見てやろうと決めたテーマ。国境だ。国を分かつ一本の線で、風景や行き交う人々の顔つきがどう変わるのか。物価や口にするものはどうか。素通りするだけの旅人の視点でしかないが、できるだけ多くの国境とその両側の街を見たいと思った。
 旅のルートは決めていない。場当たり的に「次はどこのしようか」と同行の和華子と話す。彼女は見所や名物といった観光情報を仕入れてきては色々と主張する反面、僕はもっぱらどこで国境をまたぐかを口うるさく言う。
 そんなわけでアルへシラスは外すことのできない街だった。ジブラルタル海峡を挟んでアフリカと対峙する港湾都市アルヘシラスは、両大陸を結ぶ大動脈の集結地である。
 そして、ここからバスで40分しか離れていない、いわば隣町にヨーロッパに残る最後の英領植民地ジブラルタルがある。スペインは長らく、ジブラルタルの返還を主張しているが、イギリスは今なおこの港湾都市に戦略的重要性を見出しているようで、手放さない。
 さらに、アフリカ側にはスペイン領の港湾都市セウタがあり、モロッコの返還要求は成就しないままとなっている。
 つまり、地中海の入り口となるこの海峡の両側で、スペイン・イギリス、スペイン・モロッコのふたつの陸路国境が存在するわけである。
 アルヘシラスに宿をとった。窓を開けると、野菜や果実を売る露店が市場を取り囲むのが見える賑やかな部屋だ。この街には、いままでスペインで見かけたおぼえがないアラビア語の看板が目につく。市場から港よりの一角は、アラビア語圏のモロッコ人ゾーンになっているようで、彼らがたむろす食堂があちこちにある。店に入ると、モロッコ人の男たちが押し黙ってアラビア語のテレビに見入っていた。独特の抑揚をつけた「アメリッカー」が聞こえ、イラクの映像が流れている。
 市場から港の背後に伸びる丘を上がっていくと、バルがあり、豚の太股が何本もぶら下っている。これは生ハムの塊なのだ。スペイン人にとっては当たり前の光景だが、イスラム教徒のモロッコ人は、立ち入る気がしなくなるのだろう。

カディス~夜10時の夕陽の巻

»カテゴリ: スペイン

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カディスの夕陽(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 長居したセビージャから南下してカディスに着いた。高校生の頃だったか『カディスの赤い星』を愛読したのが、ここに来たただひとつの理由だ。
 観光局で地図をもらうと、ちょうどサンフランシスコと同じように三方を海に囲まれた街だと分かった。潮風が吹き、熱波のセビージャとは別世界だ。
 夕方になると気温は30度を割り込み、夕涼みに出かける。町の中心を示す広場から商店街を練り歩いて15分。岸壁沿いの散歩道には釣竿を手にした男たちが地中海を見やる。言葉の通じない旅人を相手に、老人が釣り上げた小魚の口に指を入れて、誇らしいポーズをつくる。竿を投げ飛ばしては、ぼそぼそと口にする言葉は皆目分からない。釣りのコツを伝授してくれているのかもしれない。
 半島の街の先端は漁港兼海水浴場だった。夜10時近くまで日が暮れないこの地では、まだまだ磯遊びまっただなかだ。海水浴場から海中に石造りの道が伸び、軍艦のシルエットをもつ要塞跡を結んでいる。夕陽色に染められた道を進んで、振り返るとカディスの街が海に浮かんで見えた。
 スペイン語で話しかけられた。丸顔の若い男が何か言っている。ガールフレンドらしい女の子が「この街が気に入ったの?」と英語で言い直した。
 住んでみたいぐらいだと答えると、丸顔が笑った。彼はカディスの歴史を語り始め、ガールフレンドが真剣な顔で訳してくれる。早口で一気に話すので、彼女が同時通訳者のようになる。フェニキア人、ローマ、ムーア人、レコンキスタといった単語が彼の口からほとばしる。
「君たちの先祖もその頃からカディスにいたのかい」
「きっとそうよ」と誇らしく言うふたりは弁護士と英文科の学生のカップルだった。僕らは旅に出て2週間経ち、はじめて同世代と会話らしい会話ができたことを喜んで、カディスでの暮らしや僕らの旅のことを語って、笑った。
「日暮れの少し前にここに来て、水に入り、海を見る。そんな暮らしがあるところよ」と彼女は言った。

* 逢坂剛『カディスの赤い星』(Amazon.co.jp)
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セビージャ~摂氏46度の巻

»カテゴリ: スペイン

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フラメンコの踊り手(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 ヴィラレアルの町を出発したバスは、国境の河を渡り、スペインに入った。なだらかな丘陵地帯をひたすら駆け抜けていく。果樹園やトウモロコシ畑が続き、丘を越えると、また農地が開ける。人ひとり見かけず、雲ひとつない。
 やがて、丘の向こうに真新しい郊外が出現して、カルフールやBMWやマクドナルドの巨大な電飾が林立する。クリーム色の外壁にオレンジ色の瓦を載せたレゴのおもちゃのような住宅が斜面を這い上がる。カリフォルニアでも第三京浜の車窓でも見かけた風景だ。世界遺産を抱える古都セビージャは、世界規格の郊外を持つ大都市だった。
 翌朝、イスラム王朝の王宮跡やスペイン最大という大聖堂を見物。精密な装飾、白昼の中庭を囲む柱列、天空をめざす尖塔。世紀を超えて建造者の強烈な意思を見せつけられながら回廊を迷う。
 ここでは、バルの店員は皿をたたきつけるように重ね、歌うように注文をとる。客は能弁で、チリ紙や吸殻を床に投げつけ、昼過ぎになると一斉に姿を消す。地中海地方では昼寝の習慣があるとは聞いていたが、この街では徹底して励行される。その頃になると気温は体温を優に超え、睡魔が確実に押しよせる。
 郊外に出かけた帰り、市内の電光掲示板に46度とあった。故障かと乗り合わせた客に聞けば、そうではないと言う。果たして翌朝の地元紙一面を「14年ぶりの熱波、46.6度を記録」と大見出しが飾った。ヘラルドトリビューン紙の天気欄には、セビージャより暑かったのはエジプトのルクソールだけだとあった。
 フラメンコの本場である。観光客ばかりが吸い込まれる歌小屋で宿代を上回る代金を払った見物。予備知識もなければ、ダンスや歌謡の教養もない。期待するほうが間違っているから、ふてぶてしく席につく。
 序盤から大男が舞台をたたきつけて跳んで舞い、上着を肩にかけての古典的なポーズで壇上を去る。身を乗り出して動きを追った。無駄口をたたく間もなく2時間が経ち、深夜零時。即席フラメンコファンになった。
 何もかもが強烈にたたきつけられる、そんな街だと思った。
* Sevillaは、一般的にはセビーリャと発音するようだが、現地の方言ではセビージャのようになる。表記にブレがあるのはこんなわけである。

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