Tanimichi World Blog

世界32か国、16か月の旅。

ユーラシア横断陸路の旅 まえがき

スポンサーサイト

»カテゴリ: スポンサー広告

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

フランス

»カテゴリ: フランス

20050106031045.jpg

FRANCE, Aug/Sept 2003
* Biarritz (1)
* Biarritz (2)
* Bordeaux
* Paris#
* Bayeau
* Mont St.-Michelle
* Paris#
# 写真撮影地。Photograph by Wakako Takatsuki

20050106032225.gif

Map courtesy of the U.S. Central Intelligence Agency.

スポンサーサイト

バイユー~ノルマンディーの浜と墓の巻

»カテゴリ: フランス

20050104190645.jpg

22歳のカナダ兵の墓(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 フランスでひとつだけ見てみたかったところがある。ノルマンディーの浜だ。
 ほとんどあてがなく降り立ったバイユー駅。不安になる間もなく、駅前ホテルの壁に「Dデーツアー」と大書きされている。地図を見ると、ここバイユーは、英仏海峡に突き出すノルマンディー半島の北東岸から10キロほど内陸に入った町だとある。パリから急行列車でわずか2時間ほどの道のりである。
 町の規模に似つかわしくない見事な大聖堂がある。それとDデー博物館があると知って、行ってみた。Dデーは、米英連合軍が1944年、ナチスドイツから欧州大陸奪還を果たすべく、ノルマンディーの浜に上陸したその日を言う。
 翌朝早く、ホテルにワゴン車がやってきて、Dデーツアーに出かけた。おしゃべりなフランス人男性が運転する車は、町で出ると、畑の真ん中の一本道をけっこうな速さで進む。遠くに木立があるほかは朝靄が畑の緑を覆うだけ。のどかそのものの道だが、ガイドが時おり「この角でドイツ兵が4人死にました」「この集落は全滅しました」などと説明する。
 浜に着いた。空は灰色の濃淡が重なり、海は思ったよりも穏やかだ。1944年の5月、この浜にカナダ兵が上陸したときは、浜辺は障害物だらけだったとガイドは言いながら、写真集を開いて見せた。
「どこかで見たことがありますね? そう、『プライベート・ライアン』。ハリウッッドもときには正確ですね。ドイツ軍は実に頑強な障壁を設けて、連合軍を迎えたのです」
 映画で描かれた米軍やイギリス軍の活躍ぶりに比べて、カナダ軍の存在は忘れられがち。しかし、死亡率が最も高く、任務を全うしたのはカナダ軍だとガイドは力説する。
 カナダ軍の墓地に寄った。手入れされた芝生の中、白い墓標。ひとつの墓の前に花が置いてあった。しゃがんで、花とともに残されたカードの手書きを読む。末尾に「君のブラザー」とあった。僕が以前住んでいたカナダの街からそれほど遠くない田舎町から兵士の「ブラザー」は花を置きにやってきていた。カードが雨にも濡れていないところからすると、「ブラザー」の来訪はつい昨日のことのように思えた。僕には「ブラザー」は、死んだ兵士の年老いた兄としか思えなかった。その兵士は59年前に22歳で死んだとあった。

* 映画『プライベート・ライアン』(Amazon.co.jp)
20050106152808.jpg

パリ~ようやくラーメンの巻

»カテゴリ: フランス

20050104190642.jpg

パリのラーメン屋(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 かれこれ1か月前、モロッコからスペインに上陸してから、ほぼ一直線に北東に向かっている。マドリッドからバスクに来てからうすら寒くなり、フランスに入ると、長ズボンを履くことが多くなった。9月も半ばに差しかかり、旅に出て2か月になろうとしている。
 パリ・モンパルナス行きの超特急TGVは、音もなくボルドー駅を滑り出た。在来線と同じ線路を100キロを優に超す速度で突っ走る。旅の途中で購入したトマスクック時刻表の地図によれば、トゥールを過ぎてしばらくすると、TGVは在来線から専用線に入るとある。専用線に入ってからは、通過駅がほとんどなくなる。ときおり線路が枝分かれしては、またしばらくすると合流する。ちょうど高速道路のインターチェンジのように、大きな町の前後に在来線への連絡路が作られているらしい。新幹線よりも、高速道路に似た設計思想でできているようだ。
 モンパルナス駅についた。巨大なコンコースから表示に従って、地下に下り、メトロを待つ。パリのメトロは、不思議なことにバスのようにタイヤを履いていて、乗るときは手動で扉を開く。右側通行である。道路も鉄道も右側通行だから地下鉄も右側通行なのは当たり前だけど、マドリッドの地下鉄は左側通行だったような気がする。
 いくつかの線を乗り継いで、パリの西南端から一駅分市外にはみ出したマルセル・サンバール駅で降りた。ブローニュ・ビランコートという市にある。
 ここに住む和華子の友人ユキ、シルバン夫妻のアパートに泊めてもらうことになっている。ふたりは、駅から歩いて5分もかからないアパートの4階に住んでいた。
 翌日、パリの繁華街でラーメンを食べた。まともな和食を口にできる街にやってきて、欲しくなるのは、味噌汁でも寿司でもなくて、ラーメンなのである。カウンターにはひとり客がつまらなそうな表情で麺をすすり、対面する厨房は煙がたちこめる。奥に進んで、テーブル席。フランス人風の客が慣れた調子で割り箸を使って、ソース焼きソバにくらいついていた。新宿か池袋のラーメン屋にいるみたいな気分になる。この店のラーメンと餃子は内装と同じぐらい日本そのままだった。

ボルドー~国際色豊かな街の巻

»カテゴリ: フランス

20050104190638.jpg

ボルドーの美女(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 フランスの南西端ビアリッツを発つと、車窓から海は見えなくなる。ひたすら平らなフランスの大地は、時おりオレンジ色の屋根がきれいな村を通過するほかは、麦畑と植林された人工森だけである。スペインのバスク地方の湿っぽい、山がちな風景はどこにもない。
 食の大国フランスでは、食事スタイルもだいぶ違う。スペインでは、どこでもバルがあって、タパと呼ばれる小皿に盛った料理にありつけた。数百円しかしないし、調理法や素材も豊富だった。ところがフランスに入ると、カフェはどこでもあるが、タパはない。
 ボルドーに着いて、学生街で小腹を満たそうと物色していると、学生たちが群がっている店があった。ケバブ屋である。店頭に肉の塊が置いてある。1メートルほどの高さの塊は、壁に備え付けられたグリルで焼かれながら、ゆっくりと回転している。塊の表面を刀で削いで、トマトやきゅうりやレタスとともにパンに挟んで食す。肉に染み込んだスパイスの味と肉汁と野菜とマヨネーズが混ざって、なんともうまい。ボルドーではケバブ屋は街中にいくらでもあって、トルコ人やギリシア人がやっている。
 肝心のフランス料理は、1000円以下ではなかなかありつけないから、どうしても外国人のやっている店に行く機会が増える。フランスの若者はケバブを食べて育つのだろう。
 スペインからやってくると、ボルドーは国際色豊かに感じる。ベトナム人やカンボジア人がやっている中華料理屋が並ぶし、ポルトガル人向けの食材店にはリスボンでよく見かけた干し魚が何種類も売られていた。宿に帰る途中は、モロッコ人やセネガル人が多く住む地区を通る。その通りでは、電話屋が建ち並ぶ。店内には電話ボックスがいくつもあって、国際電話が格安でできるらしい。通りに面した窓ガラスにはアフリカや東欧の国名と電話料金が貼ってある。
 フランスで日本の影響力を感じるには、最寄りの本屋に行けばいい。マンガである。少年マンガ、少女マンガ、SF、名作、新作とジャンルは幅広い。それこそ、『ブラックジャック』から『GTO』まで、『アキラ』から『吉祥天女』まで、日本のコミックがそのままフランス語訳されて、本屋の一角を独占している。『課長島耕作』は見当たらなかった。フランスでは、日本のサラリーマン事情はウケないのかもしれない。

ビアリッツ~バスク人の話の巻

»カテゴリ: フランス

20050104190633.jpg

ビアリッツの夜景(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 僕にとってバスク人は未知の人たちだった。ただ、バスクに来てみて、彼らが実に人当たりがよく、料理をつくるのがうまく、美しい女性が多いという印象を持つようになった。そのバスク人と幸運にも食事をすることになった。
 ベトナム料理は初めてだというふたりに春巻きを勧め、乾杯を差すお互いの言葉を教えあい、自己紹介をして、バスクの土地や人々についての感想を言った。そして、バスクについて教えてもらえないだろうか、と切り出した。
「バスクはどこから来たのか誰も知らないの。はっきりしているのは、私たちはスペイン人ともフランス人とも全然違うということ。考え方も、食事も、服装も全部違うのよ」
 金髪の男が「文化が違うんだ」と続け、「僕らは違う人々で、自分たちのやり方が好きなんだ」とワインを片手に力説する。
 酒や食事を追加し、軽い話題になっては、話はまた彼らのバスクへの思いに戻っていく。「バスクは本当は独立したい。けれどもスペインもフランスもバスクを消そうとしている。言葉も文化も全部。それと、あと大きな問題があるの。ETAって知ってる?」
 ETAというテロリストの活動ぶりはスペイン滞在中、数日おきに報道されているのを見聞きしたが、それ以上のことは何も知らなかった。
「バスクに工場があるとするだろ。その工場は、スペインに税金払うよな、州にも払うよな、それとETAにも払うんだ」
 払わないとどうなるんだい。
 彼はちょっとのけぞってみせた。「そんなやつはいない。そんなことをしたら殺されるからだ。必ずね。バスクではETAの悪口は言ってはいけない。高級な車も買えない。どこでETAが見ているか分からないからな。ETAはそういうやつらなんだ」
 彼らはどうしても僕らに勘定を払わせてくれなかったので、次の店はおごると言って、彼らの大衆車に乗って、海辺に移動した。
「日本人と酒を飲むとは思わなかったな。日本人も同じじゃねえか」と彼は言って、僕らは乾杯をした。
* まさかとは思ったが、話の性質上、バスク人カップルの人物が特定されるような情報は控えた方がいいと考えた。彼らの名前、職業や写真が出てこないのはそんなわけである。

ビアリッツ~海辺のリゾートの巻

»カテゴリ: フランス

20050104190630.jpg

ビアリッツの食事は高い(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 スペインを発つ日が来た。第一印象はあまりよくなかったが、気軽な物腰、安くてうまい食事、それにフラメンコや建造物の優雅さに心魅かれることが多い一月だった。
 イルンの宿から徒歩1分の駅からエウスコ・トレンで2駅、4分。フランス側の国境の町エンダイアに着いた。ここからフランス国鉄でバイヨンヌという町へ向かう。そこにあるバスク博物館が目当てだ。
 切符売り場の行列に並んでいる間、和華子がバイヨンヌではなくビアリッツにしよう、と言う。地図で見ると、ふたつの町は隣接しているが、ビアリッツは海に接している。海辺の方がいいじゃない、じゃあそうするか、とビアリッツ行きに変わった。今日からはガイドブックがない。ポルトガルもモロッコもガイドブックなしで来たから、なんとかなるだろう。見知らぬ町まで25分の汽車旅だ。
 ビアリッツの観光案内所で1軒しかないという1ツ星ホテルを予約してもらい、バックパックを背負って、歩き始めた。大通りを渡って、路地に入ると、白亜のビルの谷間に白砂が見えた。波穏やかな浜がせまっている。ビーチリゾートだった。海辺まで徒歩1分の最高の立地に日当たりのいい安宿が取れた。幸先がいい。
 さすがフランスのリゾート地だけあって、町並みは美しいし、道行く人も品がいい。店の人たちはわりと流暢な英語を話し、感じがいい。フランス人に抱いていた偏見を正さねばならない。しかし、困ったことに物価が高い。レストランの前に手書きされたメニューの価格は安くても1500円ぐらい、高いとその倍はする。恐ろしくなって、最初の食事は3ユーロのチーズバーガーとなった。
 サンドウィッチ類ばかりの食事に飽きてきて、ベトナム料理屋に行ってみた。満席の店の外で待っていると、若いカップルが入ろうとするから、満席だよと教えてやった。ふたりが話す耳慣れない言葉が気になる。君たちはどこの国の人なんだい。
「私たちはバスク人」と赤毛の女。金髪の男の方はおぼつかない英語で、ドノスティアの近くにある町からサーフィングをしに来たと説明する。話しているうちにテーブルがひとつ空いたので、バスク人カップルと一緒に食事をすることになった。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。