Tanimichi World Blog

世界32か国、16か月の旅。

ユーラシア横断陸路の旅 まえがき

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モロッコ

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MOROCCO, Aug 2003
* Fnideq
* Tétouan
* Chef Chauen
* Fès (1)#
* Fès (2)#
* Tangier
# 写真撮影地。Photograph by Wakako Takatsuki

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Map courtesy of the U.S. Central Intelligence Agency.

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フェズ~国境を越えることを夢見る人たちの巻

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フェズのメディナにて(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 モロッコで出会った人々は、外国人の友だちの話をしたがる。「日本にガールフレンドがいる。兵庫県××郡××村、知ってるかい」といった話を何回聞いただろうか。モロッコに絶望した、豊かな国に行って成功したい、そんな夢を幾度も聞かせられた。
 和華子が病床に伏せていたある日、様子を見に部屋にやってきたシーモも国境を越えることを夢見る青年だった。ボクサーのように引き締まった浅黒い青年。どんなに優秀でもワイロを払う金がなければ、警官にもなれないと流暢な英語で嘆く。セウタ国境の柵を泥水まみれで乗り越えた男を思い出した。彼もいつかあの柵をよじ登るのだろうか。
「そんなことをしたら、スペイン兵に撃たれるよ。僕は死にたくない。ちゃんと飛行機に乗って行く。そのためにヨーロッパ人と結婚をして、いつか必ずヨーロッパに行くよ」
 宿から表通りに出るたびに、麻薬いらないか、と声をかける29歳のアブドゥルという男がいた。ビールを飲みに行く僕に、一緒に行きたいと言う。誰かと飲みたくなって、一緒に酒場に入った。おおっぴらに酒を飲めないこの街では、酒場は薄暗く、女はいない。
「最初の2回はスペインに行ったわけ。すぐ捕まって、強制送還。3回目はイタリアに行った。イタリアはよかったよ。捕まらないし、稼げたし。フェラーリに乗ってたんだぜ」
 ビールを追加して、彼のイタリアでの仕事を聞いた。
「ドラッグを売ってた。文字書けないし、パスポートないし。他に仕事はないんだよ。最後はパクられて、ムショに6年。料理当番やってたから、スパゲッティ作らせたらイタリア人もびっくりのうまさだよ」
 近々、スペイン国境をよじ登って、ドイツへ行くつもりだ、もうドラッグは売らない、動物園で働きたい、と言う彼は自信なさそうな顔だった。
 そんなことをしていたら、いつか死ぬぞ。酒が回ってきて、説教口調になった。料理人になれよ、ちゃんとビザを取って行けよ、いつかベルリンでモロッコ料理屋でも開けよ。なんの根拠もない無責任なアドバイスだとは分かりつつ、偉そうに口にした。
 アブドゥルは意外にも、そうか、料理人か、とうなずき、「10年後、必ずベルリンに来いよ。タダ飯食わせてやるよ」と言った。その晩以降、表通りで彼を見かけなくなった。

フェズ~八方塞がりの食中毒の巻

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ハキマとモハメットに看病される和華子(2003年)
Photograph by Kenta Tanimichi


 モロッコの古都フェズに着いた翌朝、和華子が熱を出した。額も腕もかなり熱い。解熱剤を買いに薬局に行こうにも今日は日曜日。おまけに泊まっているのが、おびただしく広い旧市街とあって、タクシーに乗せて医者に行くこともできない。そもそも車が乗り入れできるような幅員ある道などないのだ。八方塞がりだ。
 宿の青年モハメットと到着早々知り合ったモロッコ人女性ハキマに同行してもらい、タクシーで新市街の薬局へ行った。処方箋がいるという。患者なしで医者に症状を説明し、処方箋をもらう。医者のアラビア語は全く分からないので、モハメットのつたない英訳とハキマのフランス語訳に頼るしかない。
 薬を買った帰り、モハメットとハキマが歩いて帰ろうと言う。フェズの旧市街、メディナは汚い。ロバの糞、生ゴミ、汚水を避けながら石畳を歩く。ハエが飛び、坂が多く、気温は高い。彼らは、自宅の廊下を歩くように、メディナの角を曲がり、路地を上がっていく。やがて、モハメットが近道だといって立派な門をたたき、邸宅に入った。家の主に挨拶をし、中庭に面した広間で寝ている子どもにキスをして、冷蔵庫から冷水を出して飲んだ。知り合いの家だという。モハメットとハキマは初対面のはずだったが、いつのまにか久しぶりに会った兄弟のように話が弾んでいる。僕は薬を手にして、後を追った。
 薬を飲んだ和華子に、モハメットとハキマが冷水をかける。熱があるときは、体を冷やすべきだという。気温がすさまじく高く、冷房もないから、彼らの言い分には一理ある気もする。熱は引いたが、翌日も翌々日も具合が悪かった。気温は上がり続け、宿の青年たちによると47度あると言う。和華子の体調がやや回復したところで、新市街の冷房の効いた快適な宿に移し、病院に連れて行った。彼女は点滴につながれたまま入院することになった。食中毒だろうと医者は言う。
 なんとか歩き回れるようになるまで1週間かかった。その間、彼女は便所に行く以外はベッドで伏せ、僕は薬や食べ物を買いに歩き回っていた。宿の人たちとハキマ、同じ宿になった酒造会社の営業マンの高橋さん、フランス人旅行者のロレイン、日本大使館のミキ女史、病院のスタッフたちにお世話になるばかりだった。本人に代わって感謝申し上げます。

シェフシャウエン~幻想的な夜の巻

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シェフシャウエンの夜道(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 テトゥアンのバスターミナルは、ラッシュ時の新宿駅のような喧騒だった。バックパックを背負ったままシェフシャウエン行きの切符売り場に並ぶが、4時間後まで空席はないという。ベンツで行くしかないか、と思い巡らしていると、初日のガイド、ムハマンドに声をかけられた。
「どうした、日本人。切符がないのか。ちょっと待っていろ」
 売り場の係員と話し終えたムハマンドの手には2枚の切符があった。
「バスターミナルの人間はみんな友だちなんだ。ムハマンドにできないことは何もないぞ」
 代金を渡して、ありがたく切符をもらった。実は、旧市街を歩いた日、ムハマンドからハッシッシ(大麻樹脂)を買わないかとたびたび勧められたので、その後街で会っても避けていた。うさんくさい奴だと思っていたが、いい奴じゃないか。
 時間が来た。バスの通路には人があふれ、空席などない。すさまじく暑く、汗臭い。冷房設備はもとよりない。立席でもいいから、とっとと出発してくれと怒鳴りたくなる中、運転手が乗客の切符を確認して回っていた。すると、客がどんどん降りていく。間違えて乗ったのか、キセルか。僕らは席にありついたが、結局ふたりの乗客が立ったまま出発した。ムハマンドが無理に切符を売らせたからなのか。わからないことだらけだ。
 リフ山脈の斜面にシェフシャウエンはあった。純白に塗られた迷路の左右は、白と藍の家々。絵本から飛び出たような幻想的な町並みが広がる。一周しても1時間かからないような小さな村。1492年、スペインから追放された回教徒やユダヤ人がつくったのだという。ここは大麻の原産地とも聞いた。
 朝晩問わず、白い風景を歩き回る。山から風が吹き、心地いい。店を覗いては、出されたハッカ茶を飲み、猫を撫でる。村人は静かに話し、押しつけがましくない。
 日が暮れた迷路は、白が浮かび上がるようにぼんやり光る。開け放れたドアの中は、青に塗られた室内があった。エキゾチックなリズムが流れている。なんの店だろう。20代にみえる青年があいさつに出た。アートギャラリーにしたいんだ、開店準備中なんだ、と言い、招き入れる。不思議な夜だった。

テトゥアン~迷路の奥の薬剤師の巻

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テトゥアンの薬剤師(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 セウタの宿を引き払い、二日連続で国境を越えてモロッコに入った。国境からベンツをハイヤーして、テトゥアンという街に行くつもりである。運よくバックパックを背負ったスペイン人とアメリカ人の若いカップルとベンツを貸し切ることができた。スペイン人のアルベルトは、タクシーの運転手とべらべら話している。モロッコの北部は、戦前の一時期から1950年代にかけて、スペインの保護領だった時期があり、スペイン語がだいぶ通じるという。
 テトゥアンに着くとたちまち各国語を操る自称ガイドたちに取り囲まれた。自称ガイドが僕ら4人を引き連れて迷路状に広がる旧市街、メディナを進んでいく。家具職人の工房が続く道から押入れよりも狭いような雑貨屋や軽食堂が連なる道に入った。白ペンキで塗られた路地を通り、ロバやリヤカーとすれ違いながら、角を曲がって行く。
 アルベルトがガイドとなにやら話し込んでいる。ガールフレンドのケリーは、角を曲がるたびに小さなノートに道筋を書いている。「どこに連れていかれるかまるで分からないでしょ」と不安そうだ。
 路地の奥。狭い間口の建物に連れていかれた。天井は2階まで吹き抜けていて、壁一面には色とりどりの液体が入った壜が並ぶ。ハーブやスパイスを調合して、客の症状に合った薬を売る店だという。化学製品ではなく、天然の素材を使うから体にいいのだと白い衣装を着た店主は静かに言い、体に塗ると虫除けになるという石鹸状のものだとか、寝る前に匂いを嗅ぐといびきをかかないという香袋だとかを取り出して、諭すように説明する。いわばモロッコ式漢方だ。この国ではこうした薬を使うのがふつうだという。
 一通り説明が済むと、「ぜひお買いあげください」となったので、店の外に出て、タバコに火をつけていると、「タバコは体によくないよ」と店主がぽつりと言う。天然素材にこだわる薬剤師らしいな、と思ったら、「私に一本くれないか」
「体によくないと言ったばかりじゃないか」
 薬剤師はニヤリと笑って、「まあ、そう堅いことを言うな」と言うように僕が差し出したスペインタバコをくわえた。

フニデク~「ようこそモロッコ」の巻

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国境のモロッコ側(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 入室を拒否された僕は、国境警察隊の事務所らしい建物の外に立っていた。白いガウンのような服を着た男が寄ってきて、「ようこそモロッコ」と日本語で言う。観光局の係官だという。友だちが警察につかまったと伝えると、ホッ、ホッ、ホッと笑って、「ここで写真を撮ってはいけませんよ」とまじめな顔で言うので、少し心配になった。
 10分ほど経っただろうか、和華子と佐藤さんが建物から出てきた。モロッコ領内の国境を写した写真は全て消去させられただけですんだ、紳士的な態度だった、と嬉しそうに話す。
 入国手続きを済ませ、国境検査場を出る。そこは、建物はひとつもなく、ただ砂利敷きの広場があって、年代物のベンツが何十台も止まっていた。小便の臭いが鼻につく。赤旗がなびいていた。観光客を歓迎するムードをなにも感じない。土産物屋もなければ、両替屋もないし、案内板もない。広場の右手には、木が生えていない丘が迫っていて、私服姿の男がたむろしているし、左手の海辺はゴミが散乱して汚らしい。
 ベンツの止まっているところまで行くと、フニデクという町まで行くという。とりあえず乗り込むと、助手席にモロッコ人が2人乗ってきて、総勢6人で出発した。ものの5分もしないうちに、降ろされた。うじゃうじゃ人がいる。道端で肉や魚を焼いている。そこいらに赤旗がはためいている。まるで読めないアラビア文字が目につく。ほこりっぽく、臭くて、蒸し暑い。第三世界に来た。
 フニデクで両替をし、鰯の塩焼きを食べたあと、市場を物色して、また写真撮影が原因で警察につかまって、そろそろスペインに帰るか、となった。
 モロッコの国境では、出国時もちゃんと書類を書かせる。ひとつしかない窓口にパスポートにスタンプを押されるのを待つ人が溜まっている。ひとりひとり通過させるのではなく、窓口にパスポートをねじ込むと、だいぶ経ってから、スタンプの押されたパスポートが放り出される。他人にパスポートを取られてはたまらないから、みんな窓口の周りにたむろすことになる。窓口の中には、仕事をしている気配もない係員が何人もいて、のんきにおしゃべりに興じている。不思議な国境である。
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