Tanimichi World Blog

世界32か国、16か月の旅。

ユーラシア横断陸路の旅 まえがき

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ラオス

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LAOS, May/Jun 2004
* Vientiane
* Vang Vieng
* Luang Phabang#
* Pakbeng
* Huai Xay
# 写真撮影地。Photograph by Wakako Takatsuki

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Map courtesy of the U.S. Central Intelligence Agency.

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ルアンパバーン~樹海の盆地、茜色の空の巻

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ルアンパバーンの夜市(2004年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 バンビエンを出ると、北へ向かう国道はやがて山にさしかかる。つづら折り状に斜面を上がる街道に面して、ときおり木でできた簡素な小屋が並ぶ一角があって、それを過ぎるとまた森林に戻る。小屋の周りには、粗末な格好をした子どもと籠を担いだ女性が通り過ぎるバスを珍しそうに見ている。首都から古都ルアンパバーンを結ぶ主要国道が通過する光景は、時代を超越したような感がある。
 東南アジア唯一の内陸国であるこの国は、人口わずか540万人。人口が少なく、山がちな地理条件も影響してか、人々の気質は穏やかで物静かである。ビエンチャンもバンビエンも観光客が少なくないが、ぼったくることもあまりない。
 国道13号は、ルアンパバーンで再びメコン河と接近する。盆地に開けたこの町で、頂上に黄金色の仏塔が立つ丘に登った。一面樹海である。なだらかな山も狭い盆地も木々が覆い尽くす。その合間を土色の鋭い屋根が見え隠れし、同じ色の濁流がくねる。傾いた陽が下界をしばらく眩く照らし、気づけば茜色の空が尾根を形取っていた。どこかで見た覚えがある風景だと思い、東京の美術館で見た東山魁夷の絵だったと気づいた。
 丘のふもとの王宮跡に面した通り。夕方から車両の通行が締め出され、市が立っていた。和紙でできた行灯、鮮やかな絹の織物、手織りの鞄や服が裸電球に照らされ、地面に敷いたむしろに浮かぶ。古都らしく巧みな職人技が残るこの町の一角に、和紙を作る工房があった。煎餅のような米の菓子を作る工房もある。川辺のレストランに入ったら、川海苔がメニューにあって、確かに海苔の味がする。ミャンマーのシャン州で日本と近い衣食文化があったが、ここもそうだった。
 数日後、名残惜しんでルアンパバーンを後にした。2週間しか滞在できないビザを取ってきたので、先を急がないと、不法滞在になってしまう。出発の朝、メコン河岸辺にある乗船券売場の前で待っていると、エイジさんが現れた。わざわざ送りに来てくれたのだ。またタイで会おうね、と彼は言い残して、僕らは細長い小船に乗った。船はメコンを遡り、岩を避けながら7時間かけてのんびりと進んだ。岩が多いこの河で、日暮れ後は船は通らない。今夜の宿は岸辺に山が迫るパクベンという寒村だ。

バンビエン~「ここは桃源郷だよね」の巻

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宿から見た光景(2004年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 バンビエンに着いた。小さな市場を通り抜けて、裏手を流れる川につきあたった。ゆるやかな清流の向こうに、霞がかった岩山が間近に迫っている。川辺に面した宿に部屋を取った。ドアの前にベンチのあるポーチが伸びていて、毛糸の帽子をかぶった男が座り込んで、川を見ていた。こんにちは、と声がかかった。ここは桃源郷だよね--。
 ここではなにもしない。目の前に流れる川で泳ぎ、歩いてすぐの市場でおかずを買い、川と岩山を見ながらポーチで食べる。ラオスではもち米をよく食し、漬物と干し肉をつけ合わせにする。ミャンマーのシャン料理と似ていて、素朴だが味わい深い。雨季のいま、毎日豪雨が降っては、気温が下がり、とても快適である。晴れているときは、靄がたなびいて、岩山にかかる。曇ってくると、視界が一面、山水画の世界になる。日が暮れるまでポーチにいても飽きることがない。なるほど桃源郷か。
 この宿には、日本人の旅人が何人かいた。帽子でドレッドヘアを覆ったエイジさん。高円寺でバンドをやっている。「バンドをやっているヤツはさ、バンドのことになると、他に見えなくなっちゃうンだよね」。彼の語り口は、優しくて、静かで、この風景によく合うように思えた。エビネさんとナツコさんのカップル。もの静かで、礼儀正しくて、感じがいい。それから真っ黒に焼けた元気いっぱいのマユコちゃん。まるで健康優良児だね、とからかうと、「いつも皆勤賞もらってました」。京都のスポーツクラブのインストラクターだそうだ。数日後に、成田空港に勤めるラオス好きのサカモト君も加わった。
 旅をしていて、日本人とつるんで遊ぶことがあまりない。おかしな話だが、日本人とは打ち解けにくい気がしていた。お互い年齢が分からず、敬語っぽい口調になりがちで、どこか気を遣う。韓国人も似たようなことを言っていた。特に避けているつもりはなかったが、もしかすると同国人を面倒くさいと感じるところがあったのかもしれない。
 バンビエンでは、不思議と気を張らずに日本人の旅人と川の向こうの洞窟に出かけたり、名物料理を食べに行ったりして過ごした。年齢不詳、職業不詳、フウテンのエイジさんのおかげだろう。旅をしていると、不思議な魅力のある人との出会いがある。普段の生活のなかでは、言葉を交わさずにすれ違うだけの人。バンビエンに来てよかったと思った。

ビエンチャン~隣国の国歌が聞こえる首都の巻

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交通量が疎らなビエンチャン(2004年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 今まで国境の町はできるだけ素通りしないように旅をしてきた。人為的に引かれた一本の線を境に、人々の暮らしや姿かたちがどう変わるか興味深く見てきた。スペイン・モロッコ国境は別世界が対峙しているようだったし、オランダ・ベルギーは何も違いが見えなかった。武装兵士に通された国境もあれば、食事を勧めてくれるのんきなところもあった。
 タイ東北部の町、ノンカイもまたメコン河の対岸にラオスを望む国境の町である。宿を見つけて、受付で値段を聞く。振り返ると、庇の下に籐の椅子とテーブルがいくつかあって、ビールを飲みながら、川辺の風景を眺める人がいた。褐色に濁った川が数メートル先に迫り、対岸の木立や疎らな建物が見える。ふと対岸はラオスではないか、と思い、席に座っていた若い女性に聞いてみた。多分そうだと思う、とイギリス訛りの英語が返ってきた。外国が見える宿というのも面白そうだ、ここに泊まろう。
 対岸はあまり大きな町ではないようで、人の姿は見かけないが、ときおり車が通る。右から来た車は、左から来た車と交差するとき、一瞬姿が隠れる。右側通行か。タイは左側通行だから、対岸はラオスで間違いない。
 翌々日、ラオスに渡った。10年ほど前にメコン河をまたぐ道路橋がかかっている。タイ側で乗った国境越えバスは、左側通行のまま橋を快走し、渡りきったところの国境検問所で終点になった。書類を埋めて、30ドルを支払い、ビザを取った。
 国境から15分ほど乗り合いのオート三輪に乗ると、もう首都ビエンチャンに着く。オート三輪以外は、原付バイクや自転車が行き交うぐらいで、交通量は少ない。人口50万人足らずのこの街もノンカイと同じくメコン河に接していて、対岸はタイである。
 ラオスの公用語であるラオ語は、タイ語と近い関係にあるようで、タイ語で注文しても大体通じる。通りを歩いていたら、タイの国歌が流れてきた。時刻は午後6時。タイのテレビから流れてくる。食堂では、テーブルにタイ製の魚醤の壜が置いてあった。隣の客はタイ製の缶コーラを飲んでいる。市場で洗剤と蚊取り線香を買った。やはりタイ製。街の雰囲気もタイとあまり違いを感じない。タイの田舎町をさらにのどかにしたような感じだ。
 国境を越えたはずなのに、あまり実感が沸かない首都である。
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