Tanimichi World Blog

世界32か国、16か月の旅。

ユーラシア横断陸路の旅 まえがき

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インド

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INDIA, Feb/Mar 2004
* Amritsar
* McLoad Ganj
* Delhi
* Varanasi (1)#
* Varanasi (2)#
* Buddha Gaya
* Kolkata
* Varanasi to Kolkata
# 写真撮影地。Photograph by Wakako Takatsuki

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Map courtesy of the U.S. Central Intelligence Agency.

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バラナシからコルカタへ~混沌の国の真っただ中での巻

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ブッダガヤの少女(2004年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 バラナシからガヤへ向かう。わずか5時間の旅だからと、予約をする手間を惜しんで、駅に着いた。大失敗である。構内は災害現場みたいだ。窓口に殺到する者の傍らには、手荷物を置いて、床に座り込み、パンを食べる家族。細長い棒を手にした警官が棒を振るい、叫ぶ。群衆も眉間の皺を深くして言い返す。ニューデリー駅でのように、声を張り上げる気力はなかった。体調がよくない。この国は、なんでいつもこうなんだ。
「ヘイ、ミスター、切符を買いたいのか」。声をかけられた。前歯が抜けたマヌケ顔、サーカスの小男、いびつな微笑。2分あればどんな切符でも手配できる、と流れる売り口上。もちろん2分経っても切符は取れない。小男は閉まっている窓口から売場に声をかけたり、構内を走り回る。10分経過、「お前にはなにかアテがあるのか」。
「心配すんなって。あと、2分経てば、おいらのグッドフレンドが昼食から戻ってくる。ミスターの切符をすぐ発行してくれるよ」
 全然信じられない。悪いけど列車に乗るまでは一銭も支払わないがそれでもいいか。もちろん、もちろん、そろそろフレンドのオフィスに行ってみるよ。
 切符は手に入った。コンピュータ印字で日付も経路も合っている。小男は僕らをホームまで誘導し、到着まで待ち、僕らのバックパックを軽々と担いで、2等車に席を確保した。手数料は30ルピー、75円である。あっけにとられて声も出ない。ハブ・ア・ナイス・トリップ、元気よく手を振る小男を後に、列車が動き出した。切符購入で、またもやチョンボをしてしまった。インド人はいつもどうやって切符を手にするのだろうか。
 ガヤから仏教史跡のブッダガヤに立ち寄り、体力が回復するのを待って、コルカタ行きの夜行に乗った。目覚めると、熱帯樹が茂るなか、黒ずんだ家々が連なる水気の多い土地を通過していた。やがて、線路は複々線になり、通勤電車が扉を開けたまま併走する。人口1000万都市コルカタまであと数十分である。
 トルコから続いた乾燥地帯が終わり、ここから湿潤地帯が始まる。3月も半ば過ぎ、気温は30度を超す。いままで着込んだ冬着をブッダガヤで始末して、フランス以来半年ぶりに半ズボンとサンダル姿になる。長い冬が終わり、夏が来た。

バラナシ~聖なる河の水の巻

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ホーリーの朝のガンガー(2004年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 結局、ホーリーの当日にバラナシでなにが起きたのか、知ることはなかった。前夜から昼過ぎまで、宿に軟禁されていたからだ。施錠された門の内側で、外国人ばかりの宿泊客同士で平穏に色水を浴びせ合い、漏れ聞こえる外の喧騒は伺い知れなかった。
 ホーリーの翌日に和華子が熱を出し、腹を下した。同じ宿の宿泊客も次々と倒れていく。バラナシでは誰もが病気になる、と聞いたとおりだ。ガンガー河の水で作った料理やチャイを口にするからだと旅人は言う。
 ヒンズー教の聖河、ガンガー。上流と下流を見渡して、いつも煙が上がっているところが火葬場である。小船からその河畔に降り立って、煙の方へと、人をかき分け、近づく。老婆が薪の上に寝ている。白のサリー姿。先端が燃えた藁を蒔にくべる。サリーが腰から着火し、老婆はひとつの炎になった。川風に乗った煙が目にしみる。上半身辺りの炎から煙が吹き出した。細長い煙が、老婆だった炎の上空に屹立しては、風に流されていった。人はこんな光景を見て、魂の存在を知るのだろうか。僕はそう思った。
 河畔で焼かれたヒンズー教徒の遺灰は、そのままガンガーに流される。蒔代が足りないと、生焼けのまま流されるとはよく聞く話だ。それでも、ヒンズー教徒は、ガンガーに浸かる。ガンガーで取れた魚も食す。対岸には、チャイを売る露店がぽつりとあり、水道を引いているようには見えないから、やはりガンガー水で作るのだろう。聖なる河なのだ。
 しかし、先進世界育ちのやわな胃壁には、この水は相性が悪いとみえて、みな病気になる。どんなにインドの精神世界を絶賛している者も体は正直だ。毎朝、1階の食堂で顔を会わせては、誰それが一晩中嘔吐していただの、下痢していただの。3、4日経つと、僕も傍観者から患者に成り下がった。卵の味のするゲップが止まらない。胃の中で硫黄でも発生しているのだろうか。
 ここでトルコから幾度も出くわして来た旅人たちとお別れである。イェルカは南インドへ、インシックとクックワはネパールへ、ベルギーから自転車で走って来たクリストフとアマンディもネパールへ向かう。僕らは東に抜ける。このまま北インドの乾燥した大地を通り抜け、バングラデシュへ行くのだ。

バラナシ~不穏な祭の前夜の巻

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老婆の死体があった辺り(2004年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 バラナシへ向かう夜行列車。便所の中に男が4人いる。便器にしゃがむ者、洗面台に腰を下ろす者、隅にしゃがむ者、最後の一人は3人の体を支えに宙に浮く。すさまじい混雑ぶりだ。翌々日にヒンズー教の祭を控え、故郷に向かう人たち。ホーリーという祭である。
「なんだって、本気でこれからバラナシへ行くのか。ホーリーまで2日なんだぞ」
 出発間際に会った旅人が呆れる。「ほとんど戦場だぞ」。ホーリーの前後、バラナシは無政府状態に陥ると言う。彼はバラナシでリンチ殺人を目撃し、デリーに逃げてきた。
 列車で乗り合わせた外国人の旅人に聞いてみる。やせ細ったヒッピー風の男がいて、危ないかもしれない、と答える。数年来、一年の半分はバラナシに住んでいるイスラエル人。
「ホーリーはね、なんでも許されるんだよね。一年のうっぷん晴らしに気に入らない奴を殺しちゃう、なんてことも起きる。バラナシの人はね、喧嘩相手に『ホーリーの日に会おう』って言うんだよ、怖いよね」。イドという名前の彼は、詩をそらんじるように静かに話す。「ホーリーはインドの知恵なんだと思うよ。一年に一度、いいことも悪いことも整理しちゃう。ホーリーが終わったら、恨みもいさかいも引きずらない。また日常が戻ってくる・・・」
 翌朝、バラナシに着いた。幅1メートル強の路地が四方に広がる街。バックパックを背負って、迷路をさまよい、覚えきれない道角を曲がったところに、ガンガーが見えた。聖なる河。緩やかに流れる河は空と同じ色だった。陽光に照らされたガンガーは美しい。川岸に宿を取って間もなく、インシックとクックワに再会した。元旦にテヘランで会って以来、方々で何度も時を過ごし、今では長年の付き合いのある旧友のように感じる。
 夕方、彼らに連れられて路地を歩いた。人をかき分けた辻に、老婆の死体があった。白い布にくるまれて路面に横たわっている。家族が無言でたたずみ、傍らに焚き火が燃える。路地を進むにつれ、人通りが増え、大通りに出た。ものすごい人出だ。自転車リクシャがぶつかり合い、露天商が、通行人が、棒を手にした警官が、眉間に縦皺が寄せ、怒鳴り合う。不穏な空気がそこに充満し、日暮れとともに暴発するのを待っている。今までに感じたことのない、場の空気を感じた。それは思い過ごしでは決してなく、確かな感触だった。
 ホーリーは明日である。

デリー~「ディス・イズ・インディア!」の巻

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オールド・デリーの光景(2004年)
Photograph by Wakako Takatsuki


「インドへ行った旅人には2種類しかない」と聞いたことがある。インドに魅了され、何度も再訪する者と、インドを憎悪し、二度と行かないと誓う者。僕は明らかに後者で、インドの素晴らしさを吹聴する旅人に会うたびに、どこかやましい気がしていた。そのインドに14年ぶりに帰ってきた。デリーに降り立って、実感した。
 車を降ろされた早朝の町は、ゴミだらけの路地だった。足元には人糞がある。ワラが散乱し、ダンボール片が投げ捨てられ、野菜の切れ端、水たまり、うろつく痩せ犬、道端で眠る牛とインド人があった。この町はなにもかもがこの調子である。道端の公衆便所はすごい臭気を放ち、人ごみのなか牛が放尿し、道端の男が揚げ物をしながら、大声で売り文句を吐き、甲高い女の歌声が響く。頭がおかしくなりそうな町である。
 ある日、ニューデリー駅で入場券を買おうとした。暴動現場のようなすさまじいところだった。誰もが競って鉄格子越しに腕をねじ込もうと、ひしめきあっている。なぜ整列できないんだ。3ルピー渡して、切符を受け取れば、一瞬で終わる作業のはずなのに、これでは切符なんて買えやしない。
「お前ら整列しろ」無性に怒りがこみ上げてきて、腹の底から大声を上げた。「整列すれば、みんな5分で切符が買えるぞ、さあ整列するんだ」
 インド人が一斉に僕に目線を向ける。そのとき、隣の窓口に並んだ腹の出た男が言った。
「エクスキューズミー、あなたは何をしているのかね。彼らは整列なんてしやしないよ」
「なんでそんなことがわかるんだ」
 男は笑いながら言う。「ディス・イズ・インディア、彼らは絶対に並びませんよ」
 ふざけるな。無言の群衆にまた叫んだ。「お前ら、聞いたか。ディス・イズ・インディア!整列しろ」
 うごめく男たちの肩をつかんで促すと、すぐに行列ができた。満足した僕は行列の先頭から2番目の男に6ルピーを渡し、切符を2枚買うよう命令した。ディス・イズ・インディア、あざとくないと生き残れない。腹の出た男が僕にニヤけた面を左右に振ったのが見えた。

アムリトサル~シーク教団の町の巻

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黄金寺院で(2004年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 ペシャワールからラホールに戻ると、翌日に滞在期限が迫っていた。思いがけず長居したパキスタンだった。イスラムの戒律をかたくなに守り、ところかまわず尋問攻めにし、知り合えば気軽に家に招く人々。この国の旅は実に面白かった。
 国境はラホール駅から30数キロの近郊にあった。インド側の手続きをすませ、街道を歩き始めたところに看板があった。「世界最大の民主主義国、インドへようこそ」。軍人がクーデターで政権奪取したパキスタンを揶揄するようにも読める。僕らとイェルカは、アムリトサルにあるシーク教団の大本山に向かう。1時間足らずの距離である。
 大理石の回廊を進み、白亜の建物をくぐる。水の中に黄金寺院が浮かんでいた。カタカタカタ、と聞こえる音楽が静かに流れる。池のほとりに淋浴する男が見えた。僕らは大理石の床に腰を下ろして、黙って茜色に染まる寺院を見ていた。
 シーク教の戒律は厳しい。信者は禁酒禁煙。男は頭にターバンを巻かなければならない。寺院を訪れる異教徒も戒律を尊重し、頭を布で覆う。シーク教徒は、また非常に清潔好きである。入口で靴を脱ぎ、水の張った溝に足をつけて、寺院に進む。一回りして、足裏を見ると、ちっとも汚れていない。大理石の床は徹底的に掃除されているのだ。僕らが泊まった寺院内の宿泊所も古びていたが清潔だった。よく知らない宗教だが、好感を持った。
 門前町アムリトサルはシーク教徒が多いようだ。禁酒国で2か月を過ごし、ビールに飢えていたが、見当たらない。町でも寺院が見えるところでは煙草を吸ってはいけない。
 夜、宿泊所で会った旅人に煙草を吸いに行こうと誘われた。ヒンズー教徒の茶屋で吸えるらしい。カナダ国旗を縫い付けたカバンを提げたアメリカ人。これからパキスタンへ向かうが、「カナダ人だと思われた方が都合がいい」のだそうだ。確かにイランやパキスタンではアメリカ人はひとりも会わなかった。僕がイランを旅したと知ると、うらやましがる。アメリカ人がイランのビザを取るのはほとんど不可能なのだ。いまのアメリカは世界であまり好かれていないから、特にムスリム世界では、と彼は言った。
 僕らは、気安くパキスタン人と付き合っていたが、アメリカ人の彼にとっては、だいぶ違った旅になるだろう。国籍を偽らないと旅ができないアメリカ人は哀れだと思った。
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