Tanimichi World Blog

世界32か国、16か月の旅。

ユーラシア横断陸路の旅 まえがき

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パキスタン

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PAKISTAN, Jan/Feb 2004
* Taftan (1)
* Taftan (2)
* Quetta
* Dera Gazi Khan
* Lahore (1)
* Lahore (2)
* Peshawar#
* Lahore
# 写真撮影地。Photograph by Wakako Takatsuki

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Map courtesy of the U.S. Central Intelligence Agency.

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ペシャワール~文明社会の果てでの巻

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アフガン・マーケットの両替商(2004年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 パキスタンには、外国人が入境できない地域がいくつかある。そのひとつ、アフガン国境に接するトライバル・エリアは、部族の自治に任され、パキスタンの法は適用されない。銃火器や麻薬がはびこる無政府地帯である。
 朝7時、降り立ったペシャワールは、肌寒い砂の世界だった。砂色の布をまとい、口髭が濃い男たちが荷物をしょったばかりの僕らを取り囲む。バスターミナルから町まで運ぶ、乗り合い軽トラックの運転手たち。口にくわえた煙草からは大麻の臭いが漂う。ペシャワールの町自体は、トライバル・エリアにはない。だが、ほんの数キロ郊外からトライバル・エリアに入り、その先50キロにはアフガン国境がある。ここは、文明社会の果てにある。
 ババジイを探しに街に出る。トライバル・エリアをガイドしてくれる老人、と旅人から口伝えに聞いていた。聞いていた通りにモスク横の茶屋にいた。綿菓子を顎にひっつけたような白髭。しかめっ面の老人から早口の英語が飛び出す。あっけなく明日決行となる。
 街を行き交うオンボロバスに飛び乗って、ペシャワールを出た。途中、アフガン難民キャンプで降りる。泥だらけの路地が這う露店市場。血なま臭い羊の残骸を並べた露店、アフガン紙幣を扱う両替商に混じり、乾燥したケシや麻の実を売る店もある。軒先に置いた麻袋にぎっしり詰まる。乾燥ケシは、「煮出して、ぐずる赤ん坊に飲ませると、すぐ眠る」とババジイ。鋭い切れ込みが入っているのは、アヘンを抽出した後なのだろう。
 またバスに乗って、終点で降りると、州境だった。検問もないし、地味な標識がなければ気づかない。トライバル・エリアに入った。道の右側は市場が広がっている。長居は無用、まごつくなよ、とババジイにせかされて市場を進む。アヘン商に連れて行かれた。六畳ほどの店内で、店主がガラス棚からこげ茶の石の塊を出して、僕に持たせた。アヘンだという。新聞紙大の大麻樹脂もあったし、偽ドル紙幣やAK47小銃もあった。勧められたが、もちろん買わなかった。ババジイ・ツアーのハイライトみたいだ。
 銃工場に行った。和華子が経営者一家の女家族に誘われて団欒している間、芝生の庭に出て、日に当たる。庭の縁にホウレンソウみたいな野菜が植わっていた。千切ると白い液が出た。野菜じゃなくてケシの葉だった。なにもがあけっぴろげで、感覚が麻痺する世界だった。

ラホール~アジア横断「沈没宿」の巻

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ラホールの旅人たち(2004年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 イードの祭りも終わりに近づいている。シャヒッドも勤め先のある町へ戻るようだし、いつまでも居候しているわけにもいかない。市内の安宿に移ることにした。別れ際に、普段は仏頂面のお母さんが僕の頬にキスをして、パンジャブ語でなにかを繰り返した。
 ラホールは、アジア横断をする旅人がだれしも通過するところである。この街を通らずして、パキスタンからインドへと抜けることはできないからだ。トルコから東へ向かってきた旅人の間で、よくラホールの安宿の名前が挙がってきた。リーガル・インターネット・イン。ラホールに着いたら、ここへ行くといい。なぜかどのガイドブックにも載らない人気宿がラホールにあるらしい。
 その宿は、雑居ビルの急な階段を登ったところにあった。思ったとおり、4階の広間に各地で会った旅人たちがたむろしていた。トルコから一緒に国境越えをしたチェコ人のイェルカ、イランでしばらくともに旅をした韓国人カップルのインシックとクックワ、テヘランの宿でいつも寝ていた韓国人のセクセク。
 みんな僕らよりだいぶ速く移動していたはずなのに、ラホールに溜まっていた。インシックたちはもう10日も「沈没」している。「あまりに居心地よすぎて離れられないんだ」。洗濯機、冷蔵庫、冷凍庫、台所がタダで使いたい放題、本はたくさんあるし、インターネットカフェも併設。無料市内ツアーまである。究極の「沈没宿」である。
 僕らもみごとに沈没してしまった。インドのビザを取るため、首都イスラマバードに発つはずが、明日、明日と引き伸ばしになり、とうとうラホールにいながらにして、代理申請する手はずを見つけてしまった。毎日、野菜を買い、料理をし、チェスを覚えて、昼寝をする。白菜キムチを自作したり、和華子の誕生会をしたり。朝から晩までトランプにはまる者、凧揚げに興じる者もいて、気分は昼下がりの幼稚園児である。
 気づけば2週間近く経っていた。インシックとクックワは、ふんぎりのつかない何人かとともにインドへ抜ける。僕らはパキスタンの滞在期限がしばらくある。イェルカとウェールズ人弁護士のスティーブと一緒の4人旅で、トライバル・エリアと呼ばれる「無法地帯」を望む地、ペシャワールへ行くことにした。

* インシックのホームページ(韓国語)
* クックワのホームページ(韓国語)

ラホール~異郷の我が家の巻

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シャヒッドの妹たち。赤ん坊は親戚の子。(2004年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 カルマンに見送られて夜行バスに乗り、人口500万の大都市ラホールに着いた。午前4時半。どうするか迷っていると、白人の若い男に声をかけられた。駅へは市バスの4番で行ける、と教えてくれる。ラホールに詳しいようだ。彼も同じバスで家に帰ると言う。
「よかったら僕の家に来ませんか」
 自信なさげな口調の彼は、ラホール出身のパキスタン人だと名乗る。金髪で青い目のパキスタン人? 少数民族か? そうではないと言う。彼の正体を知るのは面白そうだ。悪者にも見えない。よし、行こう。
 またしても見知らぬ人からの招待だ。パキスタン入国1週間足らずで3回目である。
 バスに30分ほど乗ってから、オートリクシャに乗り換える。インド亜大陸特有のオート三輪だ。真っ暗の町。路地を何度か曲がって、ここです、と彼が言った。
 シャヒッドという名前の彼の両親は、ごくふつうの風貌だった。黒髪、黒目で日焼け色の肌。どうして息子が“白人”なのか。戸惑いながら、チャイをいただく。向こうも朝っぱらから、見ず知らずの外国人がやってきて不思議がっている。シャヒッドが僕らの話をパンジャブ語に訳して、ようやく安心したようだ。彼の妹たちが姿を見せた。両親似の子がひとり、“白人”がふたり。後から知ったが、親戚にも何人か“白人”がいる。
 この家でイード連休の3日間を過ごした。“白人”の件を除くと、ごく一般的な家庭みたいだ。宗教はイスラム。お母さんは一見怖そうで、よく水パイプを吸っている。3人の妹が料理、洗濯、掃除をやる。お父さんはいつも出払っている。久々に帰郷したシャヒッドと僕は、朝から晩まで、悪友宅や路地裏でこっそり飲酒とバクチ。高校生に戻ったみたいですごく楽しい。和華子は妹たちと家で遊ぶ。この国では女は家から出ないのだ。
 結局、彼がなぜ“白人”なのかはわからずじまい。突然変異の一種なのかもしれない。近所の人はごく普通に接している。そのうち僕らも家族の一員になってきた。シャヒッドの妹が和華子を勤務先の学校に連れて行き、日本のイトコが来たから休みをくれ、と校長に頼む。なぜか疑われず、有給をもらえる。シャヒッドも悪友に僕をイトコと紹介するが、誰も疑わない。パキスタンに第二の故郷ができた。

デラガジカーン~凍える汽車、ヤギのカレーの巻

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会えずじまいだったカルマンの女家族たち(2004年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 クエッタ発の急行に乗車。1等寝台を取った。降雪もあったクエッタから2等では、寒いと思ったのだが、甘かった。寝具も暖房もない。それに、窓がちゃんと閉まらない。バザールで毛布を買っておくべきだった。後の祭りである。
 夕方になって、腹が減ってきた。乗り合わせた軍人らしい若い男に、食堂車はあるか聞く。ない、との答え。イランでは、2等でも寝具も暖房も食堂もあった。パキスタンの鉄道はだいぶ勝手が違う。
「心配無用。食事はあるぞ」と軍人は、鉄の大きなトランクの蓋を外した。カレーが出てくる。ロティというパンも出てくる。別の乗客がガスバーナーを差し出し、カレーを加熱する。遠慮無用、どんどん食べて、と彼ら。ずうずうしくいただくことにした。
 クエッタの部隊から帰郷する陸軍中尉だった。歯切れがいい軍人口調だ。僕らがムルタンという町まで行くと言うと、「考え直したまえ」。明日からはイードと呼ばれる祝日。数日間は全ての店が閉まるのという。日本の正月のようなものらしい。
「いい案がある。自分の家に来たまえ。パキスタンの風習も学べていい機会と思うが」
 ありがたい誘いだが、会ったばかりで気が引ける。遠慮する僕に中尉殿は宣言した。
「あなたたちは我が国のゲスト。もてなすのは将校としての自分の義務である」
 大真面目な口調。面白くなってきたぞ。イエッサーと敬礼して、話に乗ることにした。
 凍える一夜。ほとんで眠れずに過ぎ、途中下車。デラガジカーンからカルマン中尉の車で田園地帯を走る。緑の絨毯のなか椰子が伸びる。荒涼とした砂の風景から脱した。
 カルマンの家は保守的である。和華子は家族の女たちと過ごすが、僕は会わせてもらえない。隣の部屋から女たちの笑い声が聞こえる中、僕はカルマンの4人の叔父たちから質問攻めだ。どんな学位はお持ちでしょう、お仕事は、ちなみに月給は、宗教はもしやイスラム教ですか? にこりともしないでこんな質問ばかりする。
 カレーが出てきた。今朝、家族の男たちが捌いたヤギ肉だという。とてもうまい。イードの祭りは、家族ごとにヤギを捌いて、モスクと貧者に配り、残りを家族で食す、とカルマン中尉。聞くと、僕より10歳も年下の23歳の若者だった。

クエッタ~アフガンからの旅人たちの巻

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クエッタのバザールで(2004年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 ドアを開けると、見知らぬ女の子がいた。隣室のスイス人旅行者の居所を知らないかと聞いてくる。ついさっき出かけたよ、と答えたら、泣き出してしまった。
 とりあえず部屋に招き入れて、落ち着かせる。韓国人大学生のジーユン。開口一番、荷物を全部盗まれた、と泣きじゃくりながら言う。それに、怪我をしたとも。今朝、アフガンのカンダハルを出発して、国境に着く寸前だったという。ここクエッタから車で2時間ほど北上した、パキスタン・アフガン国境付近は、米軍が掃討したはずのタリバンがまだ暗躍していると聞く。ウサマ・ビンラディンが潜んでいるらしい。
「危ないことは知ってた。私、アフガンで1年間、NGOの仕事をしていて、カンダハルにも行ったことあります。今日はアフガン最後の日だから、あと少しでパキスタンだから・・・。気が緩んでいたみたい。私のせいです」
 カンダハルから乗ったタクシーの車中で、いつも身につけていたブルカを外した。全身を覆う青い女性用外出着だ。被害に遭った原因だとジーユンは自分を責める。なぐさめても、彼女の気は治まりそうにない。1年間の記録を全部失くしてしまったからだ。
 彼女に会う前、僕らは隣室のスイス人とのんきに国境見物にでも行こうかなんて話をしていた。ここクエッタのバザールで会ったアフガン人たちから、たびたび話には聞いていた。しかし、それほどの危険があるとは実感できないでいた。
 翌々日、そろそろ移動しようかと、鉄道の切符を買いに行った駅で、偶然エリさん、ヒデさん夫妻に出くわす。1月の半ばにイランのシラーズで別れてから半月ぶりの再会である。アフガンを通って来たはずだ。大丈夫みたいでよかった、と声をかける。
「それがヤバかったんだって。カンダハル怖かったー。道沿いなんか、米軍がズラーって腹ばいになって、引き金に指かけてるし。シャレになってない」
 エリさんが吐き出すようにまくしたてると、いつもは飄々として、あまり口数の多くないヒデさんも、「あれは危なかったよなあ」とエピソード交えて話した。
 改めて思う。国境は不思議なものだ。命を脅かされる思いも国境線まで、一歩越えれば武勇伝。しかし、パキスタンはどこまで安全なのか。ふと、心配になってきた。

* エリさん、ヒデさんのホームページ「タビフーフ」

タフタン~国境税関の夜宴の巻

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タフタン税関の男だけのパーティ(2004年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 タフタン税関のカレーは実にうまかった。専属の料理人が作ったと聞いて、納得した。こんなに味が濃くて、辛くて、まろやかで、とにかくうまいものを口にしたのは久しぶりだ。中庭で通関書類に目を通す係員とチャイを飲みながら雑談しているうちに、夕食も食べて行け、となった。なんでも今日は「国際税関デー」。近隣の名士たちが集まるパーティを開くという。ちゃんと宿泊できる部屋もあるから、と勧められた。
「その、宿泊にお金はいるんですか」
「なにを言っているんだ。ここは政府庁舎だぞ。そんなもの取るわけがないだろう」
 それもそうだ。面白そうだ、泊まっていこう。
 近隣の名士たちは、早食いである。税関専属料理人が腕を振るった大皿をどんどんたいらげていく。飲み物はコーラ。名士は全員男だ。黙々と料理に取り組む。それほどうまいからなのか、いつもそうなのか。デザートを済ませた者から、部屋の隅に移って、紫煙の中、ようやく談笑。
 ここはバローチスタン砂漠の辺境。中央から派遣された役人は、みな単身で赴任してくる。女はそもそも地元の村人しかいない。税関職員の場合は、20日勤務しては10日の休みをもらい、家族を残した田舎へ帰る。勤務中は税関庁舎内に住み込む。たまたま帰郷中の職員がいて、その空き部屋に僕らは泊まった。シャワー、トイレもあり、快適である。
 政府庁舎に飛び入りの民間人が寝泊りするなんて、日本では考えられないことだ。
「コーランは旅人を助けよ、と教えている。あなたたちを助けるのは当然ですぞ」
 それにしても、パキスタン式の助け方は豪快である。ここの職員との話は尽きることがなく、夜は更けていった。
 翌日、朝、昼とまたごちそうになって、夕方のバスでタフタンを後にした。
「また、来なさい。いつでも歓迎するから。インシャッラー」
 神のご加護を、とでも訳すのか、そんなことを言われ、別れた。これからこの旅で有数の悪路といわれる砂漠越えが待っている。最寄りの都市、クエッタまで15時間はかかるという。インシャラーか、砂漠の向こうにはどんな旅が待っていることだろう。

タフタン~深紅のチャイ、甘いチャイの巻

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タフタン税関の昼下がり(2004年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 イラン最後の日、今日もまた砂漠の道を快走する。目指すはミルバージェ国境。パキスタンはもう少し居心地がいい国であってほしい。もう少しうまいものが食いたい、もう少し楽に物を買いたい、もう少し人を素直に信じたい、もう少し・・・。
 ミールジャーヴェの町で乗客があらかた降りたバスは、また砂漠を走って、殺風景なコンクリート造りのビルの前で止まった。周りの乗客が降りろと言う。国境に着いたようだ。
 越境者が詰め込まれたビル。外人特権なのか、入国管理官の個室に案内された。恰幅のいいイラン男が黙々と山積みになったパスポートを処理している。イラン、イラク、それに聞き慣れない中央アジアの国名が刻印された表紙が見える。その山の上に、薄汚れた赤い日本旅券を載せる。彼はこっちを見向きもしない。机にはガラスのカップに入った深紅色のチャイが4杯。勧めてくれるかと期待したが、それはなかった。早くスタンプをもらえれば、どうでもいい。
 ビルを出たところでライフルを持った兵士にパスポートを見せ、塀の合間を抜けると、砂ぼこりの中に、見慣れない男の肖像画が目に入る。信仰、団結、規律、と標語があって、パキスタンに入ったことを知った。見返すと、今までいたビルには、白髭のホメイニが描かれていた。建国者合戦か。
 パキスタン側の入管はみすぼらしい小屋である。だが、ついさっきまでいたイランとは大違いの歓待が待っていた。ウェルカム・トゥ・パーキスターン! やけにおおげさに聞こえるインド訛り。ウッジュー・ライク・サム・チャーイ? 出てきたのは、同じチャイでもミルクと砂糖で味付けされた、インド・チャイ。ノウ、ノウ、パーキスターニー・チャーイ。そうか、そうか。わっはっは・・・。
 税関に回り、また甘いチャイを振舞われて、係員と雑談。ところで、この辺にうまいレストランはないか、と聞けば、陽気な係員は丸い目をぎょろぎょろさせて、妙なことを言う。
「税関事務所に来たまえ。最高のパキスタン・カレーをご馳走するぞよ」
 断る理由はどこにもない。どうせ砂漠越えのバスは当分出ない。僕らを荷台に乗せたトヨタのピックアップトラックは、砂漠をのそりのそりと渡り始めた。
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