Tanimichi World Blog

世界32か国、16か月の旅。

ユーラシア横断陸路の旅 まえがき

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イラン

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IRAN, Dec 2003/Jan 2004
* Tabriz
* Tehran (1)
* Tehran (2)
* Isfahan
* Yazd#
* Isfahan to Yazd
* Shiraz
* Bushehr
* Bandar-e-Abbas
* Zahedan
# 写真撮影地。Photograph by Wakako Takatsuki

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Map courtesy of the U.S. Central Intelligence Agency.

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バンダルアッバス~少年が宙を舞うの巻

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アフガン人の物売り少女(2004年)
Photograph by Wakako Takatsuki


「ザヘダーンは危ないところです。気をつけて下さい」
 西日が差し込むバスターミナルで、僕らを見送るメフディが言った。彼はペルシャ湾岸のこの街で知り合った高校生、ザヘダーンには行ったことがないのに、何度も念を押す。そう言われても、イランからパキスタンに抜けるには、ザヘダーンを通らないわけにはいかない。その街は、戦乱が続くアフガニスタンとも至近距離にあり、難民が多いらしい。持ち歩いているガイドブックには、「アフガンと麻薬取引が多く、物騒な街」とあった。
 出発時刻まで間がある。蒸し暑いターミナルビルから外に出ると、物売りの子供に囲まれた。バナナ、香水、腕時計、護身用ナイフ。旅人相手の小さな商人たち。僕らが日本人と知ると、中学生ぐらいのボス格の少年が仲間を呼んできた。日本人みたいな顔つきの少年。栗色の頭髪がちょうど今風の日本の中学生みたいで、思わず日本語で話しかけていた。
 アフガン難民らしい。ハザラという民族で、日本人と見分けがつかない顔つきの人が多い。それでいて、頭髪は茶色だったり、金髪だったりする。ここバンダルアッバスの辺りで、ときおり見かける民族である。
 ハザラの少年と僕らの対面を面白がって子供が群がってきた。そのとき、誰かが大声を上げ、子供が四方へ散る。5、6歳にしか見えない少年が宙を舞った。棍棒を持った大男が力任せに蹴ったのだ。警官だ。水たまりに少年の落とした安っぽいおもちゃが落ちている。警官は、しばらく子供たちを追いかけ回してから、持ち場に帰っていった。
 驚く僕らに、周りにいた大人が「汚いアフガニーから君たちを守るために警官が追い払った」と説明する。そんなひどい話があるもんか。メフディが怒る僕を制するように口にした。僕はもっとひどい警官を知っています。ここでは、ふつうのことなんです。
 バスに乗る時間が来た。メフディとアシュガルが窓の外で手を振っている。高校生とはとても思えない老け顔のふたりだったが、別れ際の表情がアフガンの子供とどこか重なった。どうすれば、あなたたちのように世界旅行ができるのか、と真剣に聞いた彼ら。短い付き合いだったが、何度も心通じ合うものを感じた。ただ、そんな彼らがザヘダーンを怖がるのは、アフガン人に対する侮蔑感情があるからなのか。彼らの瞳を見る僕の思考は揺れる。

ブシェール~核疑惑の町の巻

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ブシェールの市場の男たち(2004年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 酒が飲めず、食事に喜びがなく、トランプも違法のイラン。旅人にできることは、夜な夜な暖の取れる安宿の一角で騒ぐぐらいだ。翌朝になると、何人かがどこかへ出て行く。それが東へ東へと移動するうちに、また別の街で出くわす。不思議と長年の友人みたいになる。その連鎖が切れたのがペルシャ湾岸のブシェールだった。
 これと言って観光名所がない港町。バスターミナルからタクシーだと思って乗り込んだら、会社帰りの人の自家用車だった。善人か悪人か。もう考えるのも面倒だ。やっと見つかった宿は、警察の宿泊許可が必要だとのこと。運転手は嫌な顔ひとつせず、外事警察の建物前まで送ってくれた。「イランの警察はベリーバッドだ」と苦々しい表情で言い残した彼は、金を受け取らず、名乗りもせず、妙に急いで車を出してしまった。
 警察署はひんやりした石造りだった。昼下がりの中庭で、たむろする私服姿の男たちに用件を切り出すが、だれも英語が分からない。ただ一方的に、パスポートを要求される。男たちは群がって、パスポートをめくり、僕らの顔と照らし合わせたりしている。やがて、チョッキを着た初老の男が事務所から出てきて、英語で尋問が始まった。渡航目的から職業、宿泊先、旅のルートを脈絡なく聞かれる。答えるたびに、男たちがワーワーとわめき、にらむ。イラン男がにらむとすごみがある。一人偉そうな制服男が制し、次の質問。この次はどこへ行く。カンガン。なぜだ。友だちに勧められた。そいつは誰だ。旅人のピーター・・・。
 小一時間小突き回されたが、許可書はもらえた。和華子が泣きそうな顔をすると、制服姿の上官が微笑んで、なぐさめてくれた。警察も暇つぶしに、旅人をからかっていたのだろう。ただ、外国人に宿泊許可を課すブシェール独特の制度は、この街の外れに建設中の原子力発電所があることと関係があるかもしれない。アメリカはイランの真意は核兵器開発にあると考えているらしい。トルコで買った英文雑誌には、「イランが核査察に合意しなければ、イスラエルかアメリカがブシェール原発を空爆する可能性がある」とあった。
 街の広場から旧市街を抜けたところに日暮れ前の海があった。地中海以外の海を見るのはノルマンディの浜を以来だ。あれから、もう4ヶ月になるのか。旅をし始めてちょうど半年が過ぎて、ペルシャ湾まで来た。だんだんと先行きが読めなくなっていく。

エスファハンからヤスドへ~砂漠街道200キロの巻

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エスファハンのチャイハネで、水パイプを吸う少年。(2004年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 イランに来て1週間も経つとだんだん流儀が分かってきた。この国では、なんでも交渉である。タクシーでも食堂でも事前にしつこいぐらい料金交渉をする。それでも、払う段になるともめる。慣れてくると、交渉金額だけ投げつけて、立ち去ることも覚えた。
 イスファハンに着いて、バスターミナルから乗ったタクシーを降りたとき。1500トマン(約210円)を払おうとすると、2000トマンと運転手。イラン人に交渉してもらったのだから、間違いなく1500トマンでいいはずだが、運転手は譲らない。ホテルの係員に通訳を頼むと、ややこしい理屈をこねる。「1500トマンは乗り合いの場合の料金。今回は貸切だから、2000トマンいただきたい」
 この国のタクシーは、運転手の都合で勝手に乗り合いになったり、貸切になったりするのだ。こっちは、貸切にしてくれ、と頼んだ覚えなどないから、断じて払わない。日本語で吠えると、ぶつくさ言いながら立ち去った。
 やれやれと今度は夕食を取ると、また始まる。「サラダは別料金だ」「さっきはサラダ込みと言っただろ」「いいや言ってない」「この嘘つき、恥を知れ」。毎日こんなことばかりだ。
 イスファハンを発つ日、バスターミナルの入口で男に声をかけられた。客引きかと思ったら、数日前にチャイハネ(喫茶店)で話をした男だと気づいた。たしか政府機関に勤めながら大学院に通っていると自己紹介していた、目つきの優しそうな髭の中年男だ。「これからヤスドに行くけど、乗せてあげるよ」とありがたい誘い。先日のエリさんの忠告も気になったが、こっちは韓国人カップルと一緒で総勢4人。大丈夫だろ。
 公務員氏の韓国車は、一直線の砂漠街道をすさまじい速度で駆け抜ける。気づけば速度計は200を回っている。この国で会う人は、誰もが政治を語りたがるが、さすがは公務員、平和な話ばかり。安心していたら、「ハタミ大統領の出身地」を通り過ぎたあたりから、雲行きが怪しくなってきた。生活が厳しい、インフレはすごいし、給料は上がらないし。
 バスなら4、5時間かかる距離を3時間でヤスドに到着。宿探しは勝手にやるからと言っても、聞かない。やっと好みの宿に到着して、トランクから荷物を出し、礼を言い、タイミングを待つ――。「ところで、いくらかチップをもらえるとありがたいのですがね」

テヘラン~人の「善悪」を思うの巻

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魚市場で(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 テヘランを発つ日は大雪になった。髭の紳士は夕方5時頃に迎えに来るとのこと。宿で時間を潰していると、夫婦で1年半も旅をしているエリさんがやって来て、神妙な顔をして言う。金持ちの***氏のことだけど、本当に大丈夫かな。止めたほうがいいんじゃない。
 紳士の車で移動をするのは危ないと言う。なんでも、この宿に泊まっている大学生のタシタ君が、パキスタンで意気投合した金持ちと移動中に、殴打され、金品を奪われたというのだ。話が似すぎているのよね、余計な心配かもしれないけど、とエリさんは繰り返す。
 そんなことを言われても、約束してしまったし、特に怪しげな人とも思えない。家にも行ったし、家族にも会った。
「タシタ君も同じだったって。金持ちだし、家も見たし、家族も会ったし、これは大丈夫って。でも、やられてるし。夜に車で移動するのは危険だと思うけどな。なんで朝出発しないの。暴漢に車を襲わせて、***氏も被害者になるように仕向けることだってできる。とにかく、相手がプロならなんでもできるのよ」
 僕はエリさんの顔をまじまじと見てしまった。この人は、どんな辛い旅をして来たんだ、どんな人と会ってきたんだ。彼女が口にすることは、茶髪で割とあどけない顔とあまりに不釣合いだった。それでいて、全てを見抜いているようでもあった。彼女の言う通りかもしれない。親切な目にあったり、紳士の裕福さを見せられて、惑わされたのかもしれない。
「とりあえず今日は雪だから取り止めて、明日バスで行くって返事したら。それでも、***氏が、明日一緒に行こうとか言ってきたら、これは本当にヤバいわよ」
 その通りに紳士に電話で告げると、彼はエリさんが予想した通りのことを言った。明日にしましょう、と。
 結局、僕らは紳士とゴムに行かなかった。彼が善人なのか悪人なのかは分からずしまいだ。エリさんとの会話がなかったら、分かっていたはずだが、僕らはエリさんの言い分を選んだ。
 考えてみれば、僕は長らく人の善悪なんか判断しない生活を送ってきたんだなあ、と思った。

* エリさんのホームページ「タビフーフ」

テヘラン~異国の正月の巻

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大晦日の晩、テヘランの旅人たちと(2003年)
Photograph by a Masshad Hotel staff


 イラン人は時に信じられないぐらい親切だ。タクシーの運転手に愛想よく、下手なペルシャ語で世間話をしたら、料金を受け取らない。こっちは料金でもめたくなくて、陽気に振舞っているだけなのに、「僕らは友だち、金はいらない」。同じことが1日に2回も起きる。寝台列車では、寝台の上げ下げからベッドメーキングまで、なにもさせてくれない。他の乗客が手分けしてやってくれる。あげくに、到着したテヘラン駅では、通りすがりの青年がまごつく僕らと市バスに同乗。宿探しから料金交渉までやってくれた。チップが欲しいのかと邪推したが、宿が決まったとたん、名前も言わずに立ち去ってしまう。
 実に気持ちがいい出会いが続く。旅人の間でこの国の評判が悪いのが納得できない。
 テヘランで大晦日、元旦を旅人たちと過ごした。アフガニスタンを旅して来た韓国人三人組、日本を出てから1年半になる日本人夫婦と一人旅の大学生、3つのパスポートを持つ香港生まれの男、僕らと同じルートで東へ向かう韓国人カップル。こんな連中と夜な夜な大いに盛り上がった。このメンツと各地で幾度も幾度も鉢合わせることになる。
 何泊かして、タブリースで会った髭の紳士に電話をしてみた。テヘランで建設会社を経営するという彼に、テヘランに来たら必ず連絡するように言われていたのだ。酒を飲ませてくれるのではないか、と期待しているところもあった。
 市北部の彼の邸宅。玄関が開き、出てきたのはヘソ出しタンクトップの美女。髭の紳士の奥さんだった。法律で、女性がスカーフを着用するのが義務になっているこの国には、本来ありえない光景だ。案内された居間には、見事なペルシャ絨毯にあらゆる洋酒がそろった酒棚。正直言って、これほど豪華な部屋は今まで見たことがない。
 スレンダーな奥さんはフィットネスジムに、バレリーナのように可憐な娘は私立学校にそれぞれ通うという。髭の紳士はかなりの金持ちみたいだ。豪華なディナーテーブルで、手作り料理とトルコ・ビールを堪能した。
 帰り道、明日はテヘランを離れ、ゴムという町に向かうことを運転席の紳士に告げる。
「それは奇遇。私も明日、ゴムに出張がありまして。一緒にいかがでしょう」
 迷わず快諾。その時までに、僕は紳士を完全に信頼しきっていたからだ。

タブリーズ~当惑、当惑、そして当惑の巻

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タブリーズのバザールにて(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 タクシーから降りて間もなく声をかけられた。私の泊まっている宿を見ないか、と髭の男。テヘランから出張で来ているビジネスマンだと名乗るが、信用してもいいのか。国境で秘密警察に尋問されたばかりで、気が張っていた。結局、彼の勧めるままに宿を決めた。
 今朝ドウバヤジットを発ってから、車を4回乗り継ぎ、ようやく百万人都市タブリースに着いた。移動すること10時間余り。だいぶ疲れている。時刻は夜10時過ぎだ。
 夜食後、髭のビジネスマンとその友人と名乗るトルコ人旅行ガイドと茶を飲んだ。のっけから、きわどい話が飛び出す。この国では飲酒は違法だが、大抵の家庭では飲んでいるとか、公立学校は嘘ばかり教えるので、私学に通わせる人が増えているとか。勝手が分からない警察国家で、うかつに同調するのも危険かと思い、適当にうなずいておく。
 翌日、一緒に国境越えをしたチェコ人のイェルカと街に出る。意外にもトルコ東部に比べて、車が多く、街並みもこぎれいだ。昨夜の部屋も質が高かった。トイレは洋式、シャワーの出は良好。暖房は効きすぎで、窓を開けて寝たほどだ。さすが産油国、燃料事情が相当いいようだ。寒かったトルコの安宿とは大違いである。
 大通りに面した店で、丸刈りの店員がイェルカに近寄って、開口一番とんでもないことを言う。政治亡命したいので、手伝ってくれないか。脱走兵だと店員が事情を話す。丁重にあしらって、近くの公園に入ると、今度は初老の男が話しかけてきた。退役軍人の彼の話は、イラン政府の秘密兵器計画を匂わせる怪しいもの。反応しようがない出会いが多い。
 夜、宿の廊下でトルコ人ガイドと出くわした。中国人の若い女の子と話さないか、と誘ってくる。16歳から23歳の女の子4人組。でたらめな中国語で挨拶したら、大はしゃぎだ。この街でトルコの入国許可を待って20日経つという。「土耳古国入国目的如何?」と筆談すれば、ひとり教養がある子が「観光」と書く。他の子も寄ってきた。顔つきが険しい。上海に近い港町から来た彼女らは、トルコのことは何も知らず、英語もできない。たぶんヨーロッパで不法就労したいのだろう。だまされて売春でもさせられるのだろうか。まさかそんなことを聞くわけにもいかない。人はそれぞれ違う旅をしているのだ。そう自分を納得させて、別れを告げた。再見!

バーザガーン~秘密警察の国の巻

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ドウバヤジットからイランへ向かう道(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 雪原をひた走り、イラン国境に着いた。チェコ人のイェルカが指差す先は、晴天を引き裂く見事な雪山であった。アララト山。40日滞在したトルコに別れを告げよう。
 トルコの出国印をもらい、わずか歩くと、鉄の引き戸が立ちはだかっていた。引き戸の向こう側には肌色の制服を着た係員がぼんやりしている。向こう側がイランか。やがて戸が開いて、イラン側の検査場ビルに入った。
「パスポートをいただけますか」
 入国窓口に並んでいた僕らに丁寧な英語で話しかける男性がいる。てっきり入国管理官かと思い、パスポートを預けて、連れて行かれたところは観光案内所だった。イランらしくネクタイはしないスーツ姿の男は、観光案内所のマネージャーと名乗った。律儀な口調で、国境から先の進路について説明する。
「はい、検査が済みますと、車でバーザガーンの町に行ってください。1000トマン以上払う必要はありません。きっと吹っかけて来ますが、1000トマンでいいのです」
 イランの通貨単位は、リアルといい、紙幣もリアルで表記される。しかし、人々はリアルは口にせず、トマンという別の単位で言い表すという。しかも、トマンとリアルは等価ではなく、1トマン=10リアルとなるのでややこしい。こんなことも教えてくれた。
 ありがたい説明だと感心しながら聞いているが、説明はなかなか終わらない。そろそろ出発しようか、と腰を上げると、もう少しお話できませんか、と頼んでくる。年齢や職業を聞かれ、和華子がアメリカの大学に留学したと話す。すると、彼は「ホー」と感心したようにうなり、妙な展開になってきた。
「では、我らが友好国アメリカについて話してください」
 気味が悪い。世間話を装った尋問だ。こちらも世間話風に「あなたも英語が上手ですね」と切り返すと、半年前までイラク国境で米軍の電波傍受をしてだいぶ上達した、などと言う。イランは秘密警察が暗躍すると聞いていたが、ずいぶん露骨なものだ。
 秘密警察氏ににこやかに別れを告げて、1000トマンの乗り物でバーザガーン国境を後にした。この国では言動には注意しないと危なそうだ。
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