Tanimichi World Blog

世界32か国、16か月の旅。

ユーラシア横断陸路の旅 まえがき

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トルコ

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TURKEY, Nov/Dec 2003
* Edirne (1)
* Edirne (2)/Kastanies (Greece)
* Istanbul#
* Konya
* Göreme
* Konya
* Sirifke
* Adana
* Sanliurfa
* Van
* Dogbayazit
# 写真撮影地。Photograph by Wakako Takatsuki

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Map courtesy of the U.S. Central Intelligence Agency.

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ウルファからドウバヤジットへ~雪原の道の巻

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ワンからドウバヤジットへの車窓(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 目が覚めると、雪景色にいた。シャンルーウルファから夜行バスに乗り、トルコ東部を北上している。ワン湖あたりは標高が1700メートルもあり、トルコ随一の厳寒地帯である。
 雪に覆われたワンのバスターミナル。隣に停車しているレモン色のバスには、見慣れないペルシャ文字のナンバープレートがついている。イランのバスだ。ワンからイラン西部のウルミエへ向かう国際バスだという。これに乗っても良かったが、結局ワンから更に北上したドウバヤジットで国境越えすることにした。ウルミエについて情報が全くないし、ドウバヤジットなら歩いて国境越えができる。
 ワンで知り合った韓国人の女の子とクリスマスイブを祝い、僕らは国境の町ドウバヤジットへ向かった。
 2000メートル級の高原地帯を抜ける道筋には、人はほとんど住まない。ただただ雪原を越える。狭いライトバンで隣り合わせたおばさんが盛んにカザフスタンと言う。僕らのことをカザフ人だと思ったみたい。おばさんはアゼルバイジャン人。この辺りは、トルコ、イラン、それに旧ソ連のアルメニアとアゼルバイジャンの国境が接近する。そういうわけもあってか、トルコ軍の検問がいくつかあった。全てが凍てつく中、雪原に歩哨がたたずむ。
 ドウバヤジットは、兵士と酒屋とホテルが目につく雪に埋もれた町だった。ここからイランへ向かう。今までの国境越えと違って、気が重い。アメリカが「悪の枢軸」と呼ぶ国。女性は黒い布で体を覆い、酒は全く入手できない。それに海外発行の銀行カードもクレジットカードも使えないから、現金を持ち歩くしかない。イランからトルコに入った旅人は、誰しもイランはメシがまずいとこぼしていた。英語はほとんど通じないという。ガイドブックは持っているが、心細い。
 イランへ向かう旅人と出会えないかと訪れた安宿でチェコ人と会った。僕らと同じようなルートでイラン、パキスタン、インドへ向かうと言う。イェルカと名乗った彼に最後のビールを飲み交わして、翌朝一緒に国境越えをする約束をした。

シャンルーウルファ~クルド人の国の巻

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シャンルーウルファの池(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 トルコに戻ってきた。この国の人は本当に人がいい。道に迷うと、誰かしら寄ってくる。そのまま酒を飲みに行ったこともあった。酒場で、相乗りしたタクシーで、気前よくおごってくれる。世界中でこんなに気持ちいい人たちはそんなにないと思う。
 ただ、そんなトルコ人に東部へ行くと言うと、誰もが反対する。
「クルド人テロリストが跋扈する危ない地区だ。行かないほうがいい」
 あれだけ人のいいトルコ人がクルド人のことになると意固地になる。クルドの分離独立はありえないと誰もが言うし、そもそもクルド人なんて存在しないとまで言う人もいた。それでいて、クルドの住む東部に行ったことのある人には全然会わない。しっくりこない印象を持ったままクルド人住民が多数を占めるシャンルーウルファに向かった。
 バスターミナルで幸先よく宿を斡旋する男に声をかけられた。頭にスカーフを巻いた濃い口髭親父。PLOのアラファト議長みたいなだな、と言うと、「オレはアラブじゃない、クルドだ」と豪快に笑った。
 親父に連れて行かれたのは、ただの民家。本人はペンションと言うが、客室はどうも息子の寝室。便所を含めて5間しかない狭い家だった。それに、出てきた奥さんは口の下に「火」の字そっくりの刺青。家族3人で盛んに歓待するので、そのまま泊まることにした。
 アラファト親父の家暮らしは思いのほか面白かった。朝起きると、奥さんが手作りした朝食が待っている。食べている間、アラファトがブロークンな英語で解説しまくる。オレの奥さん、料理の天才、なんでも手作り、ぜんぶ天然素材、健康満点よ・・・。日中はアラファトに街を連れ回してもらい、夜は夜で銭湯に行ったり、親戚宅を回ったり。クルド語を習って、クルド音楽を聴いて、クルドの風習を教わった。
 アラファト親父は、90年代半ばまで山で養蜂をしていたが、トルコ軍とクルドゲリラの戦闘が激化したあおりを受けて、町に出てきたと言う。彼がことあるたびに語る政治は至って単純だ。デモクラシーとディクタトールのふたつしかない。民主政治は良くて、独裁政治は悪い。オレ、学ないから難しいことわかんねえ、でも家族愛さない、民族愛さない、神様信じないはダメだろ、だからクルドはディクタトールな政府と戦うのさ。

イスタンブール~あの日、あの時、あの道の巻

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水晶の夜(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 イスタンブールでイランの入国ビザを取ることにした。この旅で20もの国に入ったが、ビザが必要だった国はない。和華子は紺のスカーフを購入して、”イスラム共和国”に敬意を払って頭を覆った顔写真を撮ってもらった。
 午前中にイラン領事館で申請手続きを済ませた後、近所の銀行に寄るが自動支払機が故障している。他の銀行もみな故障していたので、現金を下ろせず、見物しようと思っていた宮殿に入れない。夕方になって、路面電車を待っていると、通りすがりの誰かが英語で「今日は走ってないぞ」と怒鳴って、立ち去った。妙な日だ、この時まではのんきにこんなことを考えていた。
 僕らがちょうどイラン領事館にいた頃、電車通りに面した英国領事館が爆破された。総領事含む館員14名が即死。ほぼ同時刻には、市北部の英国系銀行のトルコ本部ビルが爆破され、多数が死傷。いずれも、電車通りを進んで、現場近くに行ってから、警官や見物人に聞かされて初めて知ったことだ。この街で6日間に4件目の爆破テロである。
 ガラスの破片だらけの現場近くから、いま居候している和華子の友人の美智子・ベコ宅まで歩く。考えてみれば、今朝イラン領事館に出向く前、日本領事館に立ち寄っていた。位置関係は、北から南へ、居候先-日本領事館-英国領事館-イラン領事館となる。時間配分や移動手段の選択によっては、英国領事館付近をぶらぶら歩いていてもおかしくない。自分が巻き添えを食らう可能性が十分あったと今更ながら気づいた。
 1995年3月20日、地下鉄サリン事件が起きた。築地に近い勤務先に着いてから、近所で何か大惨事が起きたらしいと知った。僕が目をこすりながら有楽町線に乗っていた頃、日比谷線築地駅を出た辺りには大勢の死傷者が横たわっていた。
 たまたまある道を歩くと、高性能爆薬に焼かれ、別の道を歩くと銀行の支払機が故障していることに腹を立てている。たまたま日比谷線に乗って早目に出勤すると、毒ガスに息を止められ、遅刻寸前に有楽町線に乗ると、退勤後に新宿で泥酔している。
 僕らは今そういう世界に生きている。

エディルネ~”デッドゾーン”の防人の巻

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「記念撮影しようよ」と誘ってきたギリシア兵。撮影後に上官から叱られていた(2003年)
Photograph by Kenta Tanimichi


 人影のない畑が両脇に広がる田舎道。木立に入ったと思ったら、唐突に兵士がいた。ヘルメットに戦闘服。両手には小銃。ギリシア国境だ。
 トルコ最西端の都市エディルネは、ブルガリア国境から18キロ、ギリシア国境から10キロの位置にある。到着した翌日、ギリシア国境を目指した。
 エディルネ近郊の砂ぼこり舞う村で国境への道を聞く。雑貨屋にいた女性が国境は4キロ先だが、そこまで向かうバスはないと教えてくれる。歩くか、と考えていると、女性が通りに出て、バスを呼び止めた。このバスで国境に行きなさい。回送中のバスをタクシー代わりに使え、ということらしい。400万リラ(約290円)で合意して乗り込んだ。
 この国境では、通過する車両も人も見当たらない。森の一本道を武装兵士が立ちはだかっている。本当に通過可能なのか。不安になってきた。
「オーケー、ノープロブレム。ギリシア側には町があるよ」と話す将校に出国印を押してもらう。彼自身は、その町には行ったことがない。
 田舎道を進む。数百メートル歩くと、前方にまた兵士。
「ハロー、ジャパニーズ?」
 適当に相槌を打って立ち去ろうとしたら、「閑だからおしゃべりしようよ」。陽気なトルコ兵のすぐ向かいには、別の兵士が立っている。ギリシア兵だ。ふたりの間は幅2メートルに満たない”デッドゾーン”という緩衝帯。ここに両国の国境線がある。
 ギリシア側に立ち入ると、今度はギリシア兵が話しかけてきた。さっきのトルコ兵と同世代の兵役中の若者。向かいに立つトルコ兵と話をするのかと聞くと、「そりゃ、するよ」。弛緩しているようにも見える彼らだが、構える自動小銃には銃剣が刺さっている。どんな会話をするのだろう。お互いの国には行ったことがないというふたりにとって、2メートルの”デッドゾーン”は果てしなく遠い。
 実は両国の国境には地雷が敷設されている。アテネ五輪を控えて、地雷撤去に合意、としばらく前に読んだ新聞にあった。その記事は、不法越境したパキスタン人7人が死亡したと続いていた。僕らが日帰り越境したわずか3か月ほど前のことである。

エディルネ~「そうか、ここからアジアか」の巻

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エディルネのバザール(2003年)
Photograph by Wakako Takatsuki


 いよいよヨーロッパを去る日が来た。ブルガリアの古都プロブディフから国際バスに乗って、トルコへ向かう。終点はイスタンブールなのだが、僕らはエディルネで降りる予定だ。国境のトルコ側にある人口20万の地方都市である。
 前日にバスの切符を購入したときは、エディルネは無理だが、「2キロぐらい」離れた所でなら途中下車可能、と聞いていた。タクシーで簡単に市内まで行けるから大丈夫とも。
 国境を越えてすぐ、運転手が「エディルネ」と叫ぶ。降りたそこは高速道路の入口にたたずむ給油所だった。すっかり日が暮れた中、道路を照らすオレンジ色の照明だけが煌々と光る。タクシーなんかどこにもない。一緒にバスから降りたネクタイ姿の気の弱そうなおじさんがトルコ語で給油所に行こうと言う。というか、そう言っているよう気がする。とにかく寒いのでついて行く。
 おお日本人か、そこに座れ、暖を取れ、チャイを飲め、パンを食え、両替しないか、ドイツ語できるか、大丈夫だ車は来る。誰も英語ができないのに、どんどん話しかけてくる。でもなぜか言われたことが全部分かる気がする。なんだか違う世界に来たなあ、そうか、ここからアジアか。
 本当にやってきた乗り合いミニバスに乗って、エディルネに着いた(18キロもあった)。一緒に降りて、安宿まで探してくれたネクタイおじさんに、お礼にとブルガリア煙草を差し出すが、おじさんは、「トルコ人として客人のあなたに当然のことをしたまでだ。お礼など不要」といったようなことを胸を張って断言し、僕の両頬にキスをして夜道を去っていった。トントン拍子にことが弾むのが心地いい。
 夜の街は活気づいていた。小さな店には裸電球が灯り、道行く人が僕らに手を振って挨拶して行く。数ある食堂を冷やかしながら、店先に出来合いの料理を陳列した店に入り、トマトソースに肉が入ったおかずとピラフを指差す。文句なしにうまい。地元の大学生に会えば、「日本の経済発展の秘訣は?」と質問攻めして来る。人の反応が早くて、いままでとは違うリズムを感じた。国境を越えて、別世界に来た感じがするのは久しぶりだ。
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